現代造佛所私記 No.55「けずる」
梅の香りが時折かすめる山あいの小さな町。麓から見る山は、いただきに白い帽子をかぶりつつも、春を待ち侘びた生き物を解き放とうとしていた。 確かな春の兆しがあるというのに、この六畳の和室では、季節の気配も、時の流れも止まって...

梅の香りが時折かすめる山あいの小さな町。麓から見る山は、いただきに白い帽子をかぶりつつも、春を待ち侘びた生き物を解き放とうとしていた。 確かな春の兆しがあるというのに、この六畳の和室では、季節の気配も、時の流れも止まって...
「うーん。どうしたものか」 昨夜、手帳をじっとみながら、考え込んだ。 翌日の午後の枠に、「参観日」と「打ち合わせ」の予定が、色違いで記入されている。 打ち合わせは前々から決定していて、参観日には行けない、ごめんね、と娘に...
今、これを書いている間に、吉田仏師(夫)が得意のビリヤニとスパイスカレーを作ってくれている。今日の夕飯は、完全に夫まかせだ。 私は土間にある仕事机でPCに向かっているのだが、そのすぐ後ろが台所なので、どうしても美味しそう...
「朝だよー」 まだ薄暗い部屋で、娘を起こす私の声かけに、もぞもぞと眠たそうにうごめく小さな体。目を閉じたまま、ゆっくりと私に身を寄せてくる。 「大好きたっち」それは、娘が赤ちゃんのころから我が家にある、朝一番のハグ——か...
朝食の準備ができてから、氏神様のもとへ。 今日は月詣りの日だ。結婚してから、よほどのことがない限り夫婦で参拝している。 今年も、桜の季節が通りすぎようとしている。鳥居の脇には葉桜が爽やかに揺れていた。 人が集うのは年に二...
日曜日の朝はゆっくりだ。体内時計優先で、光や匂い、味に素直に心開く日でもある。 夫は休みの日も、起床時間は少しゆっくり目であること以外は、作業場のルーティンを守る。 仏像に触れない日はない彼の人生を、今日も讃えたい。讃え...
娘を連れて一度、遊園地に行ったことがある。4年前の春のことだ。 5歳の誕生日のお祝いだった。 遊園地のゲートで、雲一つない青空と、やや強い風に乗ってやってくる甘いお菓子と花の香りに胸が高鳴った。 私は、はしゃぐ娘のスカー...
今日は花まつり。お釈迦さまの誕生日だ。 夫と娘は近くの寺の花まつりに出かけたが、私は外せない仕事があり、気づけば夕刻を迎えていた。お下がりの甘茶をいただきながら、一息入れる。 例年、我が家では筍=仏影蔬(ぶつえいそ)を誕...
日華が旅立って2ヶ月が過ぎた頃、テンとロイロがいつの間にか家を離れた。 テンは山道で再会し、一度は家に帰ってきた。だが、再び隙をついて脱走しそれっきりだ。ロイロはもう2年姿を見せていない。 それでも、テンはまだ山のどこか...
嘘だ、と思った。 突然の別れを、受け入れるのはむずかしい。体に触れれば、まだ温もりが残っている気がして、目を閉じれば、いつもの声が聞こえてくる気がした。 段ボールに毛布を敷き、そっと体を寝かせる。どうしても出かけねばなら...