現代造佛所私記No.137「結んで、ほどいて」
結んで、ほどいて、また結んで。日にいったい何度、この手は繰り返しているだろう。 私の暮らしには、三つの「紐」がある。作務衣の紐、仕覆の緒、そして仏像を包む薄葉の紐。今日は、その話を。 作務衣の紐 朝の工房。まだ薄暗い深緑...
結んで、ほどいて、また結んで。日にいったい何度、この手は繰り返しているだろう。 私の暮らしには、三つの「紐」がある。作務衣の紐、仕覆の緒、そして仏像を包む薄葉の紐。今日は、その話を。 作務衣の紐 朝の工房。まだ薄暗い深緑...
雲とは、不思議なものだと思う。天と地、神と人、この世とあの世……そのあいだに、もくもくと雲が現れ、“向こう側”の気配を漂わせる。まるで、舞台装置のようだ。 今日は、二つの雲について考えてみたいと思う。 ひとつめは、気象と...
応援してくださる方から、「ちゃんと休んで」とお優しい叱咤を受けつつ、今夜も深夜に筆を取っている。 午後は茶道の稽古があった。久々の略点前でお抹茶を二服いただいた。稽古でいただくお茶は、どうしてあれほど美味しいのだろう。 ...
八年ほど前から、わが家の睡蓮鉢には、世代交代をくり返しながら、メダカたちが棲んでいた。 数が増えすぎて、友人に里親になってもらったこともあったが、やがて寿命が訪れ、次第に数は減り、ついにはメダカ不在のまま、今年の夏を迎え...
今朝、私はだいぶ寝坊をした。「お腹すいたよ」という娘に「冷蔵庫にパンがあるから食べて」と言ったあと、気づけば、また深く眠ってしまっていた。 「ジュージュー」という音で目を覚まし、台所へ行ってみると、娘がパンを焼きながら、...
ときどき、小学生の娘が「大好き!」とだけ言うことがある。 それは、私や夫が彼女に何か好ましいことをしたときだけではなく、なんの脈絡もなく、唐突に発せられることが多い。 「お母さん」と呼びかけるような調子であったり、「わた...
午後、Facebookに一つの投稿をアップした。「ことばの種、お預かりします」という、1000日コラムの夏の特別企画である。 これは、誰かがふと思いついた「ひとこと(単語)」をお預かりし、それをもとに私が5つのエッセイを...
短い梅雨を経て、屋根の上を見上げると、野薔薇の新芽が、空に向かってぐいと手を伸ばしている。その若々しい淡い緑の、なんと屈託のないことか。 この野薔薇は、もともと実家の裏庭に咲いていたものだ。母から20cmほどの小さな一枝...
ぼんやりと、両目に焦茶色の楕円形が映っている。 それは、黄土色の平面の真ん中に、ちょこんと居座っていた。 私は胡座をかいて、手のひらを重ねて座っている。折り畳んだ足と手を背骨にぶら下げ、城満寺(徳島県)の住職である田村さ...
「1000日毎日書き続ける」と決意して、128日目。 不思議なことに、100日を過ぎたあたりから、今が何日目かは気にならなくなってきた。 「書く筋力」というものがあるとしたら、きっと少しは鍛えられてきたのかもしれない。 ...