数日間、私と娘二人で、誰もいない実家に帰省した。
旅に出た両親の代わりに、老猫チャトラの世話を任されたのだ。食糧と仕事を持ち込み、娘と居間を占領した。
主のいない田舎の築130年。慣れ親しんだ実家とはいえ、広さをもてあました。
父親の指示書通り、朝には野菜や花の苗に水をやり、夕には鶏に餌をやり、チャトラの様子をみながらあとはひたすら自分の仕事をした。娘は動画を見たり本を読んだり、工作をしたり自由に過ごした。
頼まれてはいないが、朝一番の浄水と濃いめのお茶、仏飯を仏壇に供え、香をたいた。おりんを鳴らし手を合わせて顔を上げると、線香の煙に導かれるように、十三仏と弘法大師様の姿を見上げる格好になる。
実家の仏壇は、それなりに年季が入っていて、お軸の十三仏様は随分と煤けている。
母が私に仏壇のことを頼まなかったのは、嫁ぎ先に遠慮したのかもしれない。だけど、母が私の立場なら、きっと同じことをするだろう。
母は結婚後、毎日こうして手を合わせてきたのだな。
当たり前のことに初めて気付かされる。一つ一つの所作は、母の動きを知らず知らずになぞっていたかもしれない。意識したことがないし、教えられたこともなかったことに、いささか戸惑いをおぼえながら、多分こんな感じだろうな、と思う。
十五で家を出て以来、帰省の挨拶で仏壇に手を合わせることはあっても、こうして“当事者として”日々のおつとめをするのは生まれて初めてだった。
不思議な新鮮さがあった。そして、なんとも嬉しい気持ちがした。
自宅には一般的な仏壇がなく、神棚と夫の作った観音様に手を合わせている。ご先祖様のことも、毎日形としては祈っている。
けれど、あらためて親やそのまた親が祀ってきた仏壇の前に座ると、祖先とはっきりつながっている“根を張った祈り”が湧き上がるのを感じた。
二十年前、母に頼んで見せてもらった過去帳のことを思い出す。
母に細かく訊きながら、家系図を書き起こした。初めて聞く先祖たちの名をたどるうち、A3の紙いっぱいに、血縁者が樹状に連なった。
実家は建てた当時から現在に至るまでの間に、さまざまな事情で端っこから畑や庭に姿を変え、コンパクトになっていった。でも、煤けた柱や梁を見ていると、何世代か前の家の人たちが笑い、泣き、命を尽くしていった声や体温、囲炉裏の匂いまでが、透明な空気になって折り重なってくるような気がした。
彼らは肉体こそ失ったけれど、私という存在にたしかに続いている。そう思うと、この手が茶を注ぎ、香を焚くのは、その“つながり”を生きていることに他ならないと感じられた。
御仏たちの下に並ぶ位牌。私もいつか、このような小さな痕跡をわずかに残して逝くのだ。
この一杯のお茶をただ淹れ、ただ香を焚く。
命の連なりの一つとして。
このささやかな祈りが、また誰かの心に灯をともすことを願って。