今日は母の日だった。
実家の母に感謝のメッセージを送り、我が家は朝から大掃除。
永遠に整うことのないおもちゃや工作材料の片付け、廊下の拭き上げ、洗車、窓拭き。
水回りの掃除、不要なものの処分、猫のDIY痕(爪で引っ掻いて遊ぶ)がひどい障子の整備。
キッチンの油汚れの除去、書類の整理……。
それぞれが、それぞれに、淡々と手を動かしていく。夫は作業場の合間を縫って、効率よく廊下を拭き上げ、車を磨いて、また姿を消した。
娘は、窓を拭きながら雑巾で遊び始めてしまうし、おもちゃの片付けも、途中で人形に話しかけたり、絵本を「懐かしー!」と読み始めたりする。
おかしいな、片付けたかと思うとまた別なものが散らかっている。
猫たちは興奮して走り回り、すきあらば脱走しようとする。
そうしながら、なんとか大掃除らしい目鼻がついて、ひと段落したところで居間に行くと、娘が宿題の作文を書いていた。
「母の日に、大掃除をしました。お母さんが大掃除をしたいと言ったからです」
思わず笑ってしまった。作文のテーマが決まらないと悩んでいたが、そうか、ネタを提供できたならよかった。
掃除がほぼ終わった夕方。雨がしとしと降り、空は暗いが、まだ明るさの残る土間で、電子香炉に練香を一粒のせて、じわっと電源を入れた。
しばらくすると、ほのかな香りが、清められた空気にふ〜っと広がっていく。
香りと共に、家がほわんとした雰囲気になる。
この梅雨入り前の大掃除を境に、ヒーターや火鉢は次の季節までお休みだ。
これからは、エアコンと電子香炉が活躍する。
家が整っていると、香りも隅々まで届くような気がする。土間から、部屋の隅々へ、廊下を抜けて、天井近くまで。清浄な空間に、静かに、品よく満ちていく。
香りは、記憶を呼び起こすだけでなく、今この瞬間の「気」を立ち上げてくれる。それは、はっきりとした意志を持った、無言の雅な場の支配だ。
母の日に、家族と忙しく手を動かした一日。どれだけ掃除をしても、「貝殻で海を干す」といった感は否めないが、なんとか節目を迎えた。
夕方の香りが、それを“確定”してくれた。
香りがよく通る家は、心にも風が通る。そんなことを、何とはなしにと感じた夕暮れだった。
私が残った細かな磨き上げをしていると、台所から物音がした。夫が夕飯を作ってくれていた。
夫の得意料理の一つ、無水カレー。湯気と共に、スパイスの香りが美味しそうに漂っている。
「作ってくれてるんだ!ありがとう。あっちの掃除してていい?」
「うん、いいよ」
「母の日だから」とは、たぶん言わない人だけれど。
あの香りと、さりげない背中の姿に、「ありがとう」と言われたような気がした。