現代造佛所私記 No.22「おにぎり」

夫と子どもが床に就いてから、炊飯器を開ける。湿らせた両掌にパッと粗塩をまぶし、米をよそった。

「きゅっ、ちゃっ、きゅっ、ちゃっ」

手首にスナップを効かせて米を握りつつ、翌朝の段取りを反芻する。1日を終えた台所は音がよく響いた。

あれは昨年のいつ頃だったか?夫と娘が私の分までペロリと食べてしまったのは。

食べ盛りが二人、大きな口でおにぎりを頬張っていたのを思い出し頬がゆるむ。

(おにぎりって美味しいもんなぁ、特に新米は最高)

米の熱で赤くなった指先で海苔を巻くと、パリパリと小さな音を立てた。磯の香りと米からのぼる湯気は、次第に稲刈りの情景を思い出させた。

脳裏に浮かぶのは、夏空の下コンバインを運転している父の姿。

あぁ、この米が今年から無いのか…。胸の下から何かがシュッと抜けるような感覚があった。

「やってみたかったこと、やってみたら?」

1年くらい前だろうか。父に一人前な口をきいてしまった。と言っても私も中年だ。父も「老いては子に従え」という気持ちがどこかにあり、話してくれたのだろう。

月に1度、父にPCやスマホ指南をしており、実家の書斎で肩を並べて話すことが増えた。

地域活動のために、そして自分のためにPCやスマホを扱えるようになりたい、というので家庭教師を買って出たのだ。

父は14年前に大病を患い、体力の衰えが否めない。だが、遅くにできた孫たちが、自分の作った米を食べるのが励みになるらしく、ますます米作りに精を出した。農業日誌をつけながら、毎年家族皆が十分食べていけるだけの収量を確保してきた。

その父が、生きがいとも言える米作りから退くという。

道路拡張工事のため、田んぼの一部を手放すことになったのだ。

「あんたにも話しちょこうと思うて」

PCをまたぐような格好で父が造作した棚には、農業関連本や父がまとめた資料が並び、休憩の多い私たちを見下ろしている。

父はポツリポツリと口を開く。住民説明会に出かけていること、健康診断の結果、体調の変化、などなど。

時おり今後の生き方を模索する言葉もあり、父のやりたいことをいくつか聞けた。それは、たしかに父の本心だろうと、娘の立場から思えた。

子や孫の心配は無用だ。背中を押したい。それで出てきた「やってみたら?」だった。

その言葉だけで決めたとは思わないが、今年から父の米がない。

国内ニュースで米の話題を見ない日がないこの頃、正直不安はある。

だが、何より父の今後が豊かなものになってほしいという気持ちの方が強い。

米作りは、1年かけて取り組む。いつもなら、今頃は田植えに向けてのいろんなことが動き出し、忙しい時期なのだが、なんとなく実家の雰囲気ものんびりしている。

研究し続けた肥料と土づくりを活かして野菜や菊栽培を楽しんだり、旅行に行ってみたりしたいという父。

いつでも精米したて、好みで玄米、五分づき、しかも無農薬の米を食べられたことは、本当に恵まれていたと思う。

長い間、美味しい米を食べさせてくれて本当にありがとう。そして、お疲れさま。

明朝に備えて行儀良く並んだおにぎりが、ラップフィルムの内側に水滴を作っていた。私は、自分の取り分をとっておくつもりが、すっかり忘れて台所を後にした。