現代造佛所私記 No.410「busshiという言葉が旅する世界」

美術・工芸の国際的な名鑑プラットフォーム、Homo Faberに、吉田仏師のページがある。そのページの完成の報を受け取り、はじめて拝見したとき、最も感動したのが、仏師を「busshi」という文字で表記してくださったことだった。

英語の文章の中に、そのまま、原語のまま。インタビュワーにも、その感動とお礼をお伝えしたことだった。

先日、当工房でインターンをしたドイツのMariekeも、自身のブログの中で「busshi」と書いてくれている。

六年前のことが思い出される。吉田仏師のPR設計に取り掛かった頃だ。工房として、どんな社会を実現したいのか。この先、どんな未来を見たいんだろうと立ち止まって考えた。

そのとき、海外の論文で、仏像が「Butsuzō」と書かれているのを目にしたことを思い出した。そのとき、思ったのだ。それなら、仏像を作る人も、いつか「busshi」と言われる世界になれば、と。

造仏の文化は、アジアに広く根を持つ。中国にも、朝鮮にも、それぞれの思想・哲学・技術を持った仏像専門の彫刻家がいる。

仏像を作る人は、飛鳥時代、大陸から渡ってきた人たちだった。仏を刻む技は、大陸から持ち込まれたものだ。法隆寺の釈迦三尊像を造ったとされる止利仏師も、渡来系の人物だった。その後も中国から海を渡り、日本人と通婚しながら各地に根をおろし、「仏師」と呼ばれた人たちがいた。

渡来の技術は、日本の土壌のなかで、何世代もかけて、「仏師の技術」として発酵していった。

だから「busshi」という音が世界を旅するとき、それは日本の造仏文化とその歴史を含み、固有の意味を伴って用いられることを意味する。

そしてきっと、その言葉を受け取った人の土壌で、また発酵していく。

木彫家と仏師の違いは何か、と、老若男女からよく聞かれる。この問いは多くの人の中にある問いだろう。

仏像を専門に造る職人、自分を表現するものではなく、儀軌にしたがった形を造る人。木を彫ることと、仏を刻むことのあいだには、境界がある。さらには、東京芸大や東洋美術学校でご指導なさっている松田泰典先生によると、保存修復や彫刻科を卒業し仏像を作る人たちには、仏師とは異なる立場であることをお伝えしているのだという。

それだけ、「仏師」という言葉には、日本人にとっても独自の意味を持って用いられているのだと再認識したことだった。

同じ目的を持って作られる仏像でも、作り手は仏師とは限らない。

Sushi、Zen、Ikigai、tsunami、kimono——翻訳を介さずそのまま世界に渡った日本語がある。

言葉が生まれた土地の文化ごと音に乗って、その音と表記は世界を旅する。意味がねじれることもあるだろう。でも、そのままの音で渡ったことで、表面に現れる印象に加えて、背景の奥行きごと届く。

ブログに「busshi」という言葉を用いたMariekeは、きっと、木彫仲間や家族、友人から、busshiってなに?と質問も受けただろう。

彼女なりの体験から得た造仏文化を含め、「こういうものだ」と説明する様子を思い浮かべてみる。血の通った文化が小さな言葉に宿る奇跡をみる。

「busshi」が世界の言葉になる日を、私は信じる。

それは八百万の神の国で仏教を深く受け入れ醸成してきた日本の精神性が、共有された世界。

仏像に限らず、ものづくりの喜びは、人類に共通している。その喜びへの好意と敬意が、いまよりもう少し豊かに、人と人のあいだに流れている——そんな世界が、busshiという言葉の旅の先にあると思っている。