美術・工芸の国際的な名鑑プラットフォーム、Homo Faberに、吉田仏師のページがある。そのページの完成の報を受け取り、はじめて拝見したとき、最も感動したのが、仏師を「busshi」という文字で表記してくださったことだった。
英語の文章の中に、そのまま、原語のまま。インタビュワーにも、その感動とお礼をお伝えしたことだった。
先日、当工房でインターンをしたドイツのMariekeも、自身のブログの中で「busshi」と書いてくれている。
六年前のことが思い出される。吉田仏師のPR設計に取り掛かった頃だ。工房として、どんな社会を実現したいのか。この先、どんな未来を見たいんだろうと立ち止まって考えた。
そのとき、海外の論文で、仏像が「Butsuzō」と書かれているのを目にしたことを思い出した。そのとき、思ったのだ。それなら、仏像を作る人も、いつか「busshi」と言われる世界になれば、と。
造仏の文化は、アジアに広く根を持つ。中国にも、朝鮮にも、それぞれの思想・哲学・技術を持った仏像専門の彫刻家がいる。
「仏師」も、日本で生まれたわけではない。飛鳥時代、大陸から渡ってきた技術者たちが、仏を刻む技を持ち込んだ。法隆寺の釈迦三尊像を造ったとされる止利仏師も、渡来系の人物だった。その後も中国から海を渡り、日本人と通婚しながら各地に根をおろした仏師たちがいた。渡来の技術は、日本の土壌のなかで、何世代もかけて、発酵していった。「busshi」という言葉が世界を旅するとき、きっと同じことが起きる。その言葉を受け取った人の土壌で、また静かに、発酵していく。
だから「busshi」という音が世界を旅するとき、それは日本の造仏文化が固有の意味を持って用いられることを意味する。
木彫家と仏師の違いは何か、と、老若男女からよく聞かれる。この問いは多くの人の中にある問いだろう。
仏像を専門に造る職人、自分を表現するものではなく、儀軌にしたがった形を造る人。木を彫ることと、仏を刻むことのあいだには、境界がある。そのために、求められる精神性や感性、倫理観がある。「仏師」という言葉はそれらを全部抱えて用いられている。
Sushi、Zen、Ikigai、tsunami、kimono——翻訳を介さずそのまま世界に渡った日本語がある。
言葉が生まれた土地の文化ごと音に乗って、その音と表記は世界を旅する。意味がねじれることもあるだろう。でも、そのままの音で渡ったことで、表面に現れる印象に加えて、背景の奥行きごと届く。
Mariekeが書いたブログに「busshi」という言葉が用いられた。彼女は翻訳しないことを選んだ。きっと、木彫仲間や家族、友人から、busshiってなに?と質問も受けただろう。彼女なりの体験から得た造仏文化を含め、こういうものだと説明する様子を思い浮かべてみる。血の通った文化が小さな言葉に宿る奇跡をみる。
「busshi」が世界の言葉になる日を、私は信じる。それは八百万の神の国で仏教を深く受け入れ醸成してきた日本の精神性が、広く共有された世界ということになる。仏像に限らず、ものづくりの喜びは、人類に共通している。その喜びへの好意と敬意が、いまよりもう少し豊かに人と人のあいだに流れている——そんな世界が、busshiという言葉の旅の先にあると思っている。

