「えぇっ?まだ持ってるの?」
家族の驚きの声に、私の方が目を見開く。
(あぁ…もうそんなに月日が流れたんだ…)
手に収まるサイズの木彫のキリン(動物)の話だ。中学2年生の修学旅行で、自分用に求めた。
少し欠けたところはあるが、10回の引っ越しにも耐え、今も机の上に立っている。かれこれ30年以上手元にある。
もともと「物持ちがいいねぇ」と言われる性質ではあるが、このキリン像は群を抜いている。
同じ木彫と言っても、工房作の神仏像とは方向性が違う。中学生のお小遣いで買える大量生産品だ。
愛着があるか?と聞かれると、正直答えに詰まる。無くしてもあっさり諦めただろう。でも、「大切にしたい」という思いは、心のどこかにあったと思う。
初めて手に取った時のことを、朧げながら思い出す。そういえば、木地の手触りと、最後に仕上げた誰かの手の痕跡に、感じるものがあった。
「初めて自分で買った、手彫り仕上げの像」。少し大人に近づいたような嬉しさがあった。
思い返してみると、そのキリン像は、私にとって「非日常のシンボル」だった。
旅先、アフリカ、動物、手彫り、世界で一つ…そんな要素が、私をそっと明るい方へと押し出してくれていた。
お土産物の木彫キリンでさえ、これほど影響を与えるのだ。
このキリン像は語る。「いわんや仏像をや。」
大乗造像功徳経にも示されている、果てない仏像の功徳を思う。
あのキリンを売っていたお店は今はもうない。同じものはもう手に入らないだろう。
「世界は広いよ」と、いつも語りかけてくれる小さなキリン像。
世界のどこかであのキリンを作ってくれた誰かさんに、約30年分の感謝をあらためて送りたい。