現代造佛所私記 No.16「神仏の手の中に」

私たちが住まう山の盆地には、今でこそ9世帯しかいないが、以前は200〜300もの人が生活をしていたという。

50年ほど前まで小学校があり、商店があり、産業もあり、周囲にもいくつか集落があり交流も盛んだったと聞く。田畑の痕跡、庭木がそこかしこにみられ、当時の生活が偲ばれる。

今は店も自販機もない。週に一度移動スーパーが来てくれ、助かっている。

「パキ…パキ…ズササ…」

そばの空き家が崩れる音だ。あぁ、朽ちているのだなと思うと、どうも寂しく思う。しかし、これまで幾世代にもわたって、各地でこうした栄枯盛衰が繰り返されてきたのだろう。

戦後のエネルギー革命で、多くの人が山を降りたそうだ。あれからおよそ80年、今はエネルギー価格の高騰に生活が直撃されている。

人間の暮らし方が、再び大きく変わる時なのかもしれない。あと5年もすれば、またこの集落の様相も変わるだろうが、縁あってこの土地にきたのだから、今はこの暮らしに心を開いていたいと思う。

都会からやってくる友人たちは皆、闇に感動し、静けさに感動し、空気に感動する。喧騒を離れて開かれる感覚があるのは確かだ。また来たいと言ってくれて、年に1、2度も訪れてくれたりする。ありがたいことだ。

最近では、海外からインターンの相談もある。小さな工房でどこまで対応できるかわからないが、歓迎したいと思う。

「なんで高知にきた?」「いつまで高知におる?」

移住してきてから、ずっと問われている。先日も、集落の長老から「四月からよそに行くがかね?」と言われた。

仏像の製作や修理に応じて住まいを移してきたので、またどこかへ呼ばれるのかもしれないし、呼ばれないかもしれない。

今ここで、私たちが仏像や神像を作らせていただくことも、きっとなんらかの計らいの中にあるのだろう。