現代造佛所私記No.135「もう一人の1000日チャレンジャーへ」

応援してくださる方から、「ちゃんと休んで」とお優しい叱咤を受けつつ、今夜も深夜に筆を取っている。

午後は茶道の稽古があった。久々の略点前でお抹茶を二服いただいた。稽古でいただくお茶は、どうしてあれほど美味しいのだろう。

3年書き溜めてきた稽古ノートは、書き込みが増えるにつれ、段々とボロボロになってきた。

以前は、稽古で学んだこと、お道具や花のことを、「記憶が新しいうちに」と、夜更かししてイラストと共に書き留めていた。だが、今はコラムの執筆もあり、以前のようには描けなくなった。

簡単な走り書きが、どんどん増えていくノート。ボロボロでも、師匠の名品揃いの茶道具の由来や、点前の断片を語ってくれる大切な存在になるだろう。

そうだ、このノートも1000日分ほどの稽古が詰まっている。この1000日で、私は高知県内外の茶人とのつながり、外国からきた友人たちに茶を振る舞い、新聞にコラムを寄稿し、ますますお茶が好きになった。

さて、いずれにせよ、今日は夜更かしは避けられない。この一週間を振り返ってみよう。

坐禅の時間、玄関先の野薔薇、母娘の関係など、身近な出来事を多く綴った週だった。そこに少しずつ、ことば遊びや、表現の「余白」が生まれ始めた週でもあった。

例えば、言葉を募る参加型企画「ことばの種、お預かりします」を立ち上げた。ふと思い立ち、SNSで呼びかけてみたところ、思いがけず16個もの「ことばの種」が集まった。

どの言葉から書き出すかを決めるために、ルーレットアプリを用いた。「ジャーン!」という予想以上に本格的な効果音が鳴り、つい笑ってしまう。明日から始まる5日間、その誰かの言葉との化学反応が楽しみだ。

それにしても、こうして1000日コラム執筆チャレンジを、毎日あるいはときどきでも、読んで応援してくださる人がいるという事実。それは、いまだに衝撃的だ。

私は「1000日執筆」するチャレンジャー。
そして、いまこれを読んでくださっているあなたは、「1000日読破」するチャレンジャーなのかもしれない。

1000日目を迎えてふり返ったとき。私たちが歩いてきた足跡が、「道」になっているのではないか。そんな想像もしてみる。

仏教で言う「ご縁」という言葉がしっくりくるのだが、あえて哲学者ブルーノ・ラトゥールの言葉を借りれば、私の1000日執筆するという「行為」に対して、脅威的な速度で反応を返してくれる「あなた」という存在があり、その反応がまた、私の反応を引き起こしている。

書くことは、決してひとりの営みではない、それをしみじみと感じる。
このご縁のネットワークの中で、キーボードに触れる指先から誰かとつながるこの不思議。

私はそれに魅せられ、これからも書いていく。

【先週のコラム一覧】

No.128「新たな地平」 フィクションにチャレンジしたり、生成AIに難儀したり。
No.129「節」 一つの木の「節」が、抗い難い肉体の本能を突きつける。
No.130「野薔薇の家」 たった20cmの枝が、さしかけを覆うまでに。根無草の自らと重ね合わせて思うこと。
No.131「ことばの種」 誰かの言葉をきっかけに、話を育てる試みスタート。Q&Aも。
No.132「不意打ち」 娘からの不意打ちの「大好き」コール。自らの幼少時代の傷を振り返って。
No.133「見られている」 悲しみや痛みを、芸術に昇華しようとした娘の成長。
No.134「干渉し合う生命」 メダカ屋さんでの出来事から。命同士、干渉し合う事実を受け入れる。

一番多くの反応があったのは、現代造佛所私記No.132「不意打ち」。 お読みくださり、ありがとうございます!