現代造佛所私記No.114「授かりもの」

体が重かった一週間だった。

天気のせいか、年齢のせいか。多忙だったここ数ヶ月の疲労か。

どれも当てはまるのだろう。理由はどれでもよい。ただひとつ、はっきりしているのは、どこかに無理をさせていたということだ。

昨日のコラム「青空理髪店」でも書いた、夫のつぶやき。

「老いを受け入れられないのは、不幸なことだよ。」

その声が、思いのほか深く胸に残っている。

年齢を重ねるというのは、この度しがたい肉体と心の折り合いをつけることなのかもしれない。

衰えがくれた慎重さは、「丁寧」と呼んでもいいかも知れない。

そうして老病を常に抱える肉体を慈しみ、時に鍛えながら、くるべき時に備えたい。

心の方は、ますます自由になっていくようでありたい。ほんの小さな揺らぎを繊細に感じ取り、気配に気づける日を重ねていきたい。

健康は宝だ。
けれど、不如意な体の変化もまた、「気づき」という贈りものを連れてくる、天からの授かりものだ。

体を労わり、心はフカフカに耕していきたいと願う、そんな1週間だった。

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