現代造佛所私記No.110「土に還る」

この数ヶ月の疲れがじわじわと溜まっているのだろうか。今日は夫婦して、からだが動かなかった。

何をするにも、ひと呼吸置いてからでないと、次へ移れない。頭はさえているのに、からだは重く、ぴたりと止まってしまったような日だった。

午後には、軽い頭痛と倦怠感。豆乳に甘酒とヨーグルトをかけたグラノーラを少しだけ口に入れた。

いつもは書類や画面を眺めながらの昼食だ。だが、この日は、玄関先のベンチに座っていた吉田の姿を見て、ふと、そちらへ行ってみたくなった。

山の緑に目をやりながら、隣に腰かける。鳥の声、草むらで遊ぶ猫たち。目の前に広がる草の匂いや風に、自然と呼吸が深くなった。

「草、刈らんとね」

吉田がぽつりと言う。見れば、玄関先の庭が、伸びた草で波打っていた。

草刈機を出すほどでもない。それならばと、食事後に草引きを始める。

手に伝わる、湿り気のある土の感触。引き抜きやすい草と、やたらと粘る草とがある。根をたぐり寄せると、それぞれの草の香りが立ってくる。

しゃがみ込んで、草穂や虫を眺めているうちに、目の焦点が、徐々に「日常」というものに合ってくるのがわかった。

パソコンの画面越しに見る世界ではなく、目の前のリアルに体の芯が合っていく。

「土から離れては生きられないのよ」

昔観たジブリアニメ「天空の城ラピュタ」のシータの台詞が蘇る。

山に暮らしていても、毎日がデジタルと書類に挟まれる生活では、土に触れる時間がぐんと減る。けれど、こうして疲れ切ったときに、無言で土と向き合っていると、見えない根が伸び、からだの底から、ぬくもりのようなものが湧いてくる。

土に触れ、草を引き、虫を逃がす。そんなことをしていると、からだがしゃんとしてくるのが不思議だ。

「土に還る」という言葉がある。

終わりのことばにされがちだが、こうして土に触れてみると、それはむしろ「立ち戻る場所」なのではないかと思う。

暮らしの、いちばん深いところにある、ほっとする感覚。そんな場所を、少し思い出した一日だった。