「1000日毎日書き続ける」と決意して、128日目。
不思議なことに、100日を過ぎたあたりから、今が何日目かは気にならなくなってきた。
「書く筋力」というものがあるとしたら、きっと少しは鍛えられてきたのかもしれない。
そんなある日、4月に印刷発注し完成した修理報告書の中に、画像のミスを見つけた。それは、仏像の台座が半分しか写っていない写真だった。
私のミスなのは明らかだった。しまったなぁとページをくりながら振り返ると、いくつかの小さなほころび、手順の脆弱性、健康状態など、ミスの温床が浮かんできた。
ちょっと手元が狂った、それだけが原因ではない。さまざまな要因が絡んだ結果、起こったことだった。
私はこの感覚をよく知っていた。医療機関で、医療事故防止委員をしていた頃のことだ。あの頃分析したインシデントや医療事故も、ひとつの出来事の背景には、決して単純ではない構造があった。
「今日はこれを書きとめておこう」と思った。
けれど、仏像の所有者のことも、仏像そのもののことも、伏せなければならないことが多かった。
だったら、いっそのこと、フィクションのかたちで綴ってみよう。そう思ったのだった。
あくまで想像の中の世界。けれど、そこには現実では描けない“何か”が、浮かび上がってくるのではないかと。
こうして生まれた掌編小説「半分の台座」は、当初の前後編の構想をはるかに超えて、気づけば10話にもなっていた。
それは、設定した登場人物たちが、勝手に動き出したからだった。猫たちも含めて、誰も彼も、思いがけない言葉を口にし、行動した。私はただ、それを受け取るばかりだった。
一方で、アイキャッチ画像には悩んだ。Canvaで素材を探し回り、AI画像生成にも挑んだ。プロンプトが通じず、思うような画にならず、時に思いがけない生成結果に大笑いしながら、執筆よりもそちらに時間を費やしていた気もする。
ちなみに、「焼き菓子の詰め合わせと、その背景に猫を配置する」というプロンプトに対し(実際はもっと細かい)、生成されたのが本日のアイキャッチ画像だ。
不思議と、書くことは怖くはなかった。
いや、正確には、「怖い」と思う余裕がなくなってきたのかもしれない。
100日書き続けたとき、取り繕うことの無意味さや、言葉は力んで自分が生み出すものでもないことを、十分に思い知った。
最初は、どこか力みがあって、執筆が滞ると、うーんうーんとぎゅうぎゅう絞り出す感覚があった。
それが今では、「それはさておき、フワッと構えてとにかく書く(手先から出力する)」。
これが、スタート時点の私と、100日書き続けた後の私の大きな違いだ。
茶道や弓道、あるいは龍笛の吹き始めにも通じる、型の中にあって自由な在り方。それが身についてきたのだとしたら、ちょっと嬉しい。
以前にも、かなり短い小説をネット上で公開したことがある。誰でも目にすることができる場所に、自分が描いた想像の世界を実名でさらすのは、以前の私には怖いことだった。けれど、それに比べると、「1000日書く」と宣言したあの日の方が、よほど怖かったと今は思う。
日々、温かな反応をくださる方々へ。
コメントやメッセージ、直接の言葉に、何度励まされたかわかりません。本当にありがとうございます。
あと、872日。
この挑戦を終える日を、どんな人たちと一緒に迎えるのだろう。
願わくば、いま、これを読んでくださっているあなたと、「やりきったよ」「読み切ったよ」と、笑い合えたなら。
こんなに愉快なことはないだろうと思う。
【先々週からのコラム一覧】
No.114「授かりもの」 不如意な体の変化は、気づき」という贈りものを連れてくる。
No.115「針仕事の栄養」 「針仕事でしか得られない養分」を求め、疼いた手に応えて。
No.116〜125「半分の台座 (1)〜(10)」 修理報告書の一つのミスから始まった小さな物語。
No.126「西山庸平という人」 PTA役員になって偶然であった、知る人ぞ知る郷土・高知の熱い人
No.127「寝台列車」 寝かしつけの様子を車内放送風に贈る、新たなテイストをお楽しみください。
一番多くの反応があったのは、現代造佛所私記No.125「半分の台座 (10)」
3000字以上という過去最高の文字数なのに、最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました!


