このクスノキに出会ってから、木々の香りを身近に感じるようになった。私にとって、常に寄り添い語りかけてくれる存在だ。
高知の山中で育った榧(カヤ)、台風で倒れたヒノキ、インドからやってきた白檀…それぞれの木に物語があり、特有の香りがある。
そして皆、仏像になる過程で香りで存分に歌い、そのかたわらで多くの木っ端を産み落とす。
以前、博物館で制作のデモンストレーションをした際に、見学していた人から「この木っ端も1mm違えば仏像になっていたんですよね」と言われたことがある。
その通り。
同じ木でも、仏像になる部分とそうでない部分がある。その差はごくごくわずか。
木っ端は、大きな会社などでは事業用のゴミとして処理されているそうだが、原木時代から共に過ごすと愛着も生まれるのか、捨てるに忍びない気持ちになる。
うちのような小さな事業所では木っ端の量もしれている…というか、むしろ貴重だ。
特に彫るところを見ていると、小さな木っ端も仏様と同じように尊く感じてしまう。
それで夫に木っ端を取っておいてもらって、塗香や匂い袋のレフィルと一緒にして、文香や匂い袋を作るようになった。
仏像になるか、木っ端になるか?それは私たちの人生で起こる数多の分岐にも似ている。(続く)
本稿は、2019年noteで発信した「木の香り、木の声、仏のうた」を再編したものです。