現代造佛所私記 No.7「木の声、仏のうた(五)」

仏像製作中に出る木っ端は、塗香に混ぜて懐紙にくるみ、和紙やハギレでお守り風に仕上げる。

お客様に差し上げることもあれば、手紙に添えたり、友人にプレゼントすることもある。

個展に来てくださった人が、再会した時に「お財布に入れてるよ!」と見せてくれた時は嬉しかった。

自宅玄関に置いて自分が楽しんでもいる。

単に良い香りだと通りすぎることもあれば、「あの仏様が生まれた時の木っ端が入っているんだなぁ」と思い出したりすると、香りが「そうだよ!」と唄い始める気がする。

そういえば、香道では香りを楽しむことを「聞香」と言う。

香道はほとんど未経験なので由来は知らないけれど、香りを確かめるときは耳をすませる感覚にどことなく近い気がする。

「香りは聞こえてくるものだ」

そう教えてくれたあのクスノキは、もしかしたら前世で香道のお師匠様だったのかもしれない。

仏像工房にいる環境からか、「香り」というと真っ先に木をイメージする。

現場で、仏像の主要な材料である木材が、大いに香りで歌っているからだ。

そして、仏像になってからも密やかに唄い続けている。

万物に仏性があるならば、木の香りは仏様の唄ともいえる。

人生をあゆむ道のりを癒し励ましてくれる唄だ。

阿弥陀様が、願主のお仏壇に安置される日。泣いていたあのクスノキが、立派に光背を背負っていた。

日々のお勤めを欠かさないご家庭で、今日も唄い続けているだろう。

昔から土地と共にあった木の歴史、仏像として護り護られる木の命、その間で語られないまま消えていった星の数ほどの物語。

これも、その中のひとつ。

本稿は、2019年noteで発信した「木の香り、木の声、仏のうた」を再編したものです。