彫刻作業は、叩き鑿(のみ)から彫刻刀へと進んでいく。
クスノキの香りは、仏師の工程に合わせるように柔らかくなったり、弾けたり、まるで歌うように踊るようにそこにある。
自在に変化する香りに触れるうち、「そうか、香りは木の歌なんだ」と思うようになった。
オペラのソプラノのような時もあれば、子供が歌うようだったり、囁くように漂ったりすることもある。



私たちが仕事をしている間は、たいてい線香あるいは香木を焚いていたり、匂い袋や塗香をつけているが、クスノキの声(香り)の方がはるかに大きい。
最初は「木は語ることばを持たない」と思っていたが、この大楠の枝が違うと気づかせてくれた。いや、ことばはないが、香りという豊かな声を持っているのである。
クスノキはそうして日々歌いながら、あっという間に阿弥陀如来様に生まれ変わってしまった。華麗な転生の様(さま)であった。
穏やかなお顔、豊かな衣文(えもん)、すがりたくなるような縵網相(まんもうそう)、理知に溢れる立ち姿。



一方で、その姿と引き換えにというのか、あんなに歌っていたクスノキがシンとしてしまった。顔をそばに近づけてやっとほのかに香るほどになっている。
「あぁ、あの木は本当に仏様になったのだ」
香りが雄弁に語っている、棚の埃をそうっと払いながら畏れをおぼえた。(続く)
本稿は、2019年noteで発信した「木の香り、木の声、仏のうた」を再編したものです。