無事クスノキの枝から彫刻部を切り出せたものの、運搬時にも水が滴るほどだった。触れるところによっては人の肌のように柔らかい。
「傷まずうまく乾燥してくれるだろうか」それだけが気がかりだった。
クスノキは、工房で長い夏と短い冬を越し、時代は平成から令和になった。木は腐ることなく程よく乾き、いよいよ仏像になる時がきた。
私たちが東京にいた頃は、すでに製材されている木材を入手していたが、高知に来てからは原木で仕入れて製材している。
このクスノキも、吉田仏師が前挽大鋸(まえびきおが)で製材した。鋸挽きの音と共に、作業場の外まで香りが漂っていた。


私たちは木彫専門なので、木の香りが身の回りに常にある。
特に製材の時と直後が一番香りが強く、木の中でもクスノキは横綱級である。
玄関に夫の作務衣姿が見えると、本人より先にクスノキの香りが入ってくるし、あっという間に家中にその芳香が満ち、しまいには出先までついてくる。
「クスノキの香りとは、なんと人懐っこいものだろう」
木材を人懐っこいと思うなんて…我ながら不思議な感覚だった。木の涙を目撃したせいだろうか。
聞くと、クスノキは古来から仏像制作に用いられていた木で、飛鳥時代には仏像といえばクスノキだったという。仏師にとって、今も昔も馴染み深い存在なのだそうだ。
「昔、乾燥しきってないクスノキをどうしても使わないといけなくて、鑿(のみ)を当てると水しぶきが顔に飛んできたことがあった。乾燥したら変形したり割れるから大変だったけど」
夫が10代の頃、富山で師匠についていた頃の話だ。
刀を当てると泣き、どこまでもついてくる芳香を放つ、そんなクスノキの人格 (樹格?) を、昔の仏師も好ましく思ったことも、辟易することもあったのではないだろうか。
そんなことを思いながら、樟脳の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。(続く)
本稿は、2019年noteで発信した「木の香り、木の声、仏のうた」を再編したものです。