現代造佛所私記No.142「種のあとさき」

「ことばの種、お預かりします」と呼びかけて始めた、1000日コラム参加型の企画が、ひとまずの区切りを迎えた。

選ばれた五つの言葉をもとに、一日ごとに一篇ずつエッセイを書いていく。初めての試みにほんの少し緊張していたが、いざ始まってみると、それぞれの言葉が、まるでその日を選んでそこに現れたかのように、しっくりと着地してくれた。

そして、五つの執筆を終えた今、不思議な感覚が残っている。

すでに執筆した五つの「ことばの種」をはじめ、まだ書いていない、残りの十一個の「種たち」までもが、むくむくと頭の片隅で成長し続けているような気がするのだ。

そう思ったのは、今日出かけた時のことだった。

雲を見たとき、紐を結んだとき。ひぐらしの声が耳に入ってきたとき。あるいは、ご縁がつなぐ一本の電話に出たとき。家に戻る時 –— あの「ことばの種」たちが媒介し、ぱちっと小さな電流が通るように思考を照らすのだ。

きっと、頭の中のどこかが、刺激され続けているのだろう。何気ない日常の風景に、ことばが意味を与え、反応を引き起こす。自分の外から与えられた小さな言葉たちが、種火のように灯っていて、視界を明るくしてくれる。

それは、誰かの言葉と交わった体験の、とても豊かな余韻だ。

実のところ、十六個の種を与えられたとき、どれが選ばれるかも未確定の段階で、すでに影響を受けていた。

「書き手」と「読み手」が分かれているのではなく、反応し合いながら一緒に場をつくっていたのだと、非常に強く感じている。

そう思えば、この1000日チャレンジは、私一人きりのものではない。言葉を託してくれた人も、それを読んで反応してくれた人も、みな何かしらの形で1000日への道の一部になっている。

望むと、望まざるとに関わらず。

そして、これからもたくさんの芽吹きが、この場所で起こっていくのだと思う。

そんなこと、先週も言っていたっけなぁ。

【先週のコラム一覧】

一番反応が多かったのは、No.135「もう一人の1000日チャレンジャーへ」 でした。お読みくださり、ありがとうございます!