現代造佛所私記No.138「ご縁開いて七言律詩」

ご縁が巡り、思いがけない場所で、心響く詩に出会った。

㴩湖山寺(ようこさんじ)

空山寂歴道心生 虚谷迢遙野鳥声   
禅室従来塵外賞 香台豈是世中情   
雲間東嶺千尋出 樹裏南湖一片明   
若使巣由知此意 不将蘿薜易簪纓

張説(ちょうえつ)

高知市の文化施設の大会議室で、生涯大学での講義を終えたお昼過ぎのことだった。

講義後、生徒さんやクラスの代表の方とご挨拶を済ませ、施設の地下駐車場へ向かった。さぁ、次は買い物に行って、学校の面談だ…!段取りを頭の中で整理しながら、車のドアに手をかけたときだった。

隣の車から出てこられた方とふと目が合った。

「あれ……?」

思わず声が出た。あの方ではないか、そう思いながらも確信が持てず、おそるおそる声をかけてみた。

「あの、T塾高校の先生でいらっしゃいませんか?」

「私、冨岡です」

やはり、そうだった。高校三年生のとき、数ヶ月だけ古典を習った、冨岡豊英先生だ。担任をしていただいたことはなかったし、長く教わったわけでもない。それでも、あの頃の古典の授業は忘れがたく心に残っていた。受験の現実と、古典の美しさ、面白さ。その両方を味あわせてくれた先生だった。

その他大勢で、目立たなかった私のことなど、覚えていなくても仕方がないことだった。旧姓や、進学先、同期や後輩の名前を挙げて、大体の「時代」をお伝えした。

「今日は、うちの書道グループの展覧会でね。ちょうど今、会場にいたところです。時間ありますか?少し見ていきませんか?」

この会場で、確かに書道展が開催されているようだった。すぐに予定変更して、先生と一緒に展示室へ向かった。

モノトーンの広々とした空間に、どんと中央に据えられた八曲屏風。そこに並ぶ鮮烈な文字たちが、入室した私の目に飛び込んできた。

「先生、私は書のことはよくわからないんですが、ただただ素晴らしいと……」

「ありがとうございます。あの筆で書いてるんですよ」

書の主は、ニッと笑って屏風の傍に置かれた筆をとり、ひょいひょいと振ってみせた。

作品に添えられていた詩は、中国唐代の詩人・張説(ちょうえつ)の七言律詩。

「“道心”というのは、仏道を志すこと。これは“禅”という字です。山奥の禅寺に、この張説という人はいたんです」

先生が解説をしてくださる。

「ただね、」と続ける声に、熱がこもっていた。

「張説は、自然豊かな静かなところで、ただ心安らかな境地を味わっていたわけではないんです。そういう場所にいながら、俗世のこともきっちりやった。隠遁するのとは違ったんです」

先生の言葉が胸にしみた。
ここから、張説の詩が、突如として私の心にピッタリと沿いはじめた。

私たちは、眼下に雲海を臨むような禅寺のそばに暮らし、世俗とは離れたような自然の中で、日々、造仏に携わっている。

けれどこの場所にあっても、社会と無縁ではいられない。実務にまみれて、日々を過ごしている。

ときに「もっと田舎の人らしく暮らせば」と言われることもある。きっと、そう言われるということは、動きが派手に見えることもあるということなのだろう。けれど、自分が目立ちたくてやっているのではなく、ただ、できることで誰かに喜んでもらえる、ということに、素直でいたいのだ。

張説は、幾度もの左遷と復帰をくり返し、政治の最前線で揉まれながら、やがて地方に身を移し、この詩を紡いだ。

静けさの底に、熱い志と、覚悟がある。
心の澄明は、社会から離れた者のものではなく、関わり抜いた人のなかにこそ、深く根づくものかもしれない。

突然の再会と、書や詩への感動とともに、先生と記念写真を撮った。

先生が不意におっしゃった。
「仏師……?あ、そういえば、テレビに出てなかった?見ましたよ!あなたも出てましたよね?」

そう、それです。みてくださっていたんですね。

先生は、とても喜んでくださり、他の書家さんにも私を紹介してくださった。

手探りで積み重ねてきたことが、「縁の強度」を高めたようで、報われるような思いがした。

この幸せな再会が駐車場で起こるまでを振り返ると、生涯大学の講義が今日のこの時間だったこと、先生の展覧会があったこと、看護師をしていたこと、高知にUターンしたこと、工房として独立したこと、仏像に出会ったこと、PRを始めたこと、これまで関わったすべてのことが、大なり小なり網目のように繋がっていた。

三十年ぶりの、駐車場での邂逅。

あの遠い夏の授業が残してくれた喜びが、時を超えて、私を今も支えてくれる。
きっとそれも、ご縁のなせるわざ。

1000日コラム 夏の特別企画「ことばの種、お育てします」第三話 完
ことばの種「ご縁」から、芽吹いたお話でした。