1000日コラム執筆チャレンジの初企画、「ことばの種、お育てします」。
初めての試みに、この夏、取り組んだ。
この企画は、フェイスブックで「ことばの種」を募り、抽選で選ばれた五つの“種”をもとに、エッセイを綴るというもの。毎日のルーレットアプリでの抽選が、意外と好評だった。
無作為に選ばれた「ことばの種」は次の五つ。
「雲」
「紐」
「ご縁」
「ひぐらしゼミ」
「戻る」
どれも、私が日常で拾わぬような視点を与えてくれる、新鮮な種であり、問いかけだった。
私はあえて、言葉の提供者の背景を考えず、ただただ、その語が見せてくれる風景に身を預けた。すると、思いもよらない記憶や感情が立ち上がったり、そこから思いがけないコメントをいただいたりした。
多くの方が、ご自分の記憶や経験と重ね合わせて、共感するメッセージをお寄せくださったことは、本当に嬉しいことだった。
与えられたひとつの「ことばの種」に心を澄ますと、不思議とそれにまつわる現象が、まるでピントが合ったかのように浮かび上がってくるのも、面白かった。
心理学で言うところの「意味ネットワークの活性化」や「選択的注意」の発動だろうか。専門外なので、詳しくはわからないが、日々浴びるように触れる情報の中から、“その言葉”に関連するものが、まるでスポットライトを浴びるように浮かび上がってくる。あるいは、別の捉え方をしていた事柄が、その「ことばの種」のフィルターを通すことで、新たな顔を見せたりもした。
まるで、その言葉の眼鏡をかけて、世界を見ているかのようだった。
五つの言葉が導いた、それぞれのコラム。
「雲」──気象から文様、舞台装置としての存在へと展開した。
「紐」──身近な三つの紐から、「結び目」の役割をたどった。
「ご縁」──三十年来の邂逅と、ある漢詩との出会いを描いた。
「ひぐらしゼミ」──遠い記憶を呼び起こし、読者と感傷を分かち合った。
「戻る」──禅の老師の言葉を軸に、「削ぐこと」と「還ること」を見つめた。
これらは皆、ボタンひとつで削除できる儚い文字情報でしかない。けれど、それでも、読んでくださる方がいて、そこでなんらかの共鳴があり、交流を生んだ。
これを書いている家の外で、夫が草刈りをしている。
ジャーン、ジャーンと草を刈る音とともに、辺りには青い匂いが立ちこめる。
草刈りは、環境整備であり、誰かを迎えるもてなしでもある。
「ことばの種」もまた、いずれそのように整えていくべきものかもしれない。草刈りの音を聞いていて、そんな考えが浮かんだ。
二千字足らずの文字の萌芽と開花は、剪定し、輪郭を与え、庭の花木のように整えていけるのではないかと。
そんな可能性を思うと、企画はこれで一旦終わりとなるが、さらなる始まりの予感に胸が高鳴った。
手入れされた庭には、季節ごとの香りが満ち、人が訪れ憩うように、今回の企画で芽吹き、花開いた五篇をこれからも育てていけたら。
この五つの「ことばの種」は、まさに命あるものとして、私の手を通してそれぞれ花を咲かせた。文章力はまだまだ未熟でも、それぞれが唯一無二の色とかたちを持っていた。それは、言葉の奥に眠る“種の命”の力に他ならない。
嬉しいことには、まだ他の十一粒の種が、私の手元に残されている。
それらもきっと、ある日、風の具合や、光の移ろい、そんなふとした拍子に、芽吹くだろう。その時まで、静かに、大切に、預かっている。
「ことばの種」は、私ひとりでは咲かせられなかっただろう。読んでくださったあなたのまなざしが、土となり、水、光となってくれた。そう信じている。
「1000日コラム 夏の特別企画『ことばの種』」完。


