400年の伝統を受け継ぐ工芸の職人さんが、はるばるこの高知の山あいにある、私たちの工房を訪ねてくださった。
都にほど近い地で、長年、歴史の重みを背負いながら伝統技法を守り抜いてこられた方だ。
私たちの工房が歩んできた道とは比べものにならぬほどの蓄積がある。しかし、ご本人はそんな威厳を微塵もまとわず、まるで昼下がりに川辺に遊びに来てくださったような、軽やかな出たちで来てくださった。
職人同士、工房を営む者同士。互いに飾らず、自然と会話は“いま”という現実の渦中へと流れ込んでいった。
「“すごい技ですね”とは言われるんです。でも、注文にはつながらない」
「昔ながらの技法そのままだと、現代の暮らしには“オーバースペック”なんですよ」
そうつぶやいたその言葉には、長年の経験に裏打ちされた静かな痛みと、覚悟のようなものが宿っていた。
彼はまた、こう言った。
「諦めなかったからです。続けてきたから、だから今、こうして技を活かした小物を作って世に出すことができたんです」
その声には、深い実感がこもっていた。ひとつの道を信じ抜いた人だけが発せられる言葉だった。
私たちもまた、仏像をお作りするという営みの中で、似たような場面に何度も立ち会ってきた。
「仏像って、今も作られてるんですね」
「仏師って、初めて聞きました」
そう言われるたびに、驚きというよりは、視界の外に押しやられていたような寂しさをかすかに覚えた。
専門性が伝わらず、軽んじられることもある。それでもなお、工房の灯を絶やさずにいられるのは、目の前で仏像と向き合ってくださる人がいるからだ。
お寺さんはもちろん、ご自宅に、ご本尊を迎えたいと願う方。あるいは、会社の理念に結びついた動物像を神像として依頼される方。決して安くはない対価にもかかわらず、真摯に「願い」を託してくださるその姿に、私たちは何度となく心を打たれてきた。
仏像、神像を彫るという行為は、技術だけで成り立つものではない。
その背景には、祈りをかたちにしたいという願いや、目に見えぬ誰かを想う気持ちがある。それがある限り、仏師という仕事は、役目を果たし続けるだろう。
一方で、こうした営みが、なかなか社会の中で共有されない現実もある。
だから私は、PRという手段で語りはじめた。仏像をつくる現場、祈りの文化、その周縁にある人の物語。連載や講演、SNSでの発信を通して、それらに輪郭を与え、出会いの場を育ててきた。
「知られなければ、ないのも同じ」スティーブ・ジョブズ氏の有名な言葉だ。伝統もまた、語り、伝え、手渡していくことで生き続けるのだと思う。
諦めず、続けること。
そのことの重みを、今日改めて思い知った。技術の継承だけでなく、諦めず続ける忍耐こそが、明日への道を開いてくれる。
“オーバースペック”と呼ばれてしまうような技術であっても、それを手放さず、今の暮らしに沿う形へと応用しながら、伝統の本質を見失わずに在るということ。
掌に収まるほどの小さなお像から、見上げるほど大きな仏像まで。どれも等しく、その時代の祈りを宿す容れ物として生まれてくる。
願わくば、私たちの手の中にある技と心が、誰かの手に届き、また次の光を灯してくれますように。


