現代造佛所私記No.145「手仕事とAI」

実務でAIを活用するための、経営者向け研究会に参加した。

当工房ではここ1年ほど、AIなしでは事務方は回らなくなっている。

日本の企業における生成AIの導入率は、2025年時点で2割から3割に達し、この1年でも急速に普及が進んでいるという。まさに、遠い世界の話ではなく、自分たちの日常に深く根ざしてきているものだと実感する(ただし、成果面では、他国と比べて遅れをとっている様子。まだまだ活用できているとは言えない状況のよう)。

一番その力を大きく感じるのは、資料作成の効率化と市場調査だ。お客さまに個別にスライドを作る機会が増えたPR事業では、以前なら何日もかかったことが、AIのおかげで数時間で大まかにできるようになった。

また、ビデオ会議の書き起こし(これもAIによるテキストデータ)をAIに託して、資料作成に使える情報にまとめることも日常だ。業務の圧縮効果は計り知れない。

海外とのやり取りも、AIに助けられている部分が大きい。

メールの翻訳と添削、インターンシップのプログラム作成、そして隙間時間には英会話のバディにもなってもらったりもする。

これらが全て、短時間でスムーズに行えるようになったのは、まさにAIの恩恵だ。

一つのAIで完結できないことは、複数のAIを掛け合わせて、さらに磨き上げる。また、この「1000日コラム」のアイキャッチ写真に適切な手持ち素材がない時も、Canva、Firefly、Adobe Expressといった生成AIに助けられている。

研究会でレクチャーを受け、手探りで扱っていたAIが、もっと多くの可能性を秘めていることを知った。

まだまだ使いこなせていないのだと気づかされたし、新たな発見もあった。

例えば、キーボードで手打ちするよりも、ボイスチャットでプロンプトを入力する方が圧倒的に効率が良いこと。子どもと夫がすぐそこで眠っている夜中はできないけれど、その知見を得たのが夕方だったので、音声で試してみた。

手打ちと音声では、脳の違う場所を使っているような感覚があるのは、興味深い発見だった。──これは私の気のせいかと思ったが、どうやら研究でも、タイピングと音声入力では活性化する脳の領域が異なると示されているらしい。

入力方法を使い分けることも、なんとなく良い刺激になりそうだ。

さて、一方作業場はどうかというと、変わらず、手仕事が第一の現場だ。

多くの職人が悩むのは、その周辺に伴う「ペーパー仕事」だ。以前、工房にインターンに来ていたドイツの木彫家が、「プロになるとそれが辛い。沙織がついている吉田仏師が羨ましい」と言っていたのを覚えている。

私のAIによる業務改善は、すなわち、吉田が仏師としての仕事により専念できる環境を作ることに直結する。

正直、AIを使うことに慎重な姿勢も理解できる。最初、私もそうだった。だが、工房の実情がいつまでも私にそうさせてはくれなかった。

初めてAIに「泣きついた」のは、イベントのMCのご依頼を受けた時だった。

台本のない状態で、何をどう話せば良いのか皆目見当がつかず、藁にもすがる思いでAIを使った。その時AIが作った台本は、とても使える代物ではなかったけれど、「とっかかり」を与えてくれた。

そこから師匠に添削してもらい、台本を磨き上げ、最終的には自分の言葉に落とし込むことができたのだ。この時、私は初めて「AIって助かるな」と実感した。

AIは、これからもますます加速して発達していくだろう。既に、たった1年前のAIと今のAIでは、全く違うことを実体験として知っている。

セキュリティの問題や、デバイスのスペック、リテラシーなど、留意するべき点は多々ある。深く掘れば、入力する情報の機密性や正確性への配慮、そして何よりAIが生み出す情報に潜む偏り(バイアス)を見極める目も、我々が養うべき重要な点だと思う。

AIを過信せず、あくまで「とっかかり」として、あるいは思考の「たたき台」として活用し、最後は人の手で磨き上げること。

これこそが、伝統とAIが共存する未来において、私たちが手放してはならない「人の仕事」なのだと、強く感じたことだった。