5年前、娘が5歳の誕生日のお祝いで、遊園地へ行った。
当時、「魔法のステッキ」を抱きしめたまま眠った娘の姿を、「心に潜む鉱石」と題して書いた。記憶はあいまいでも、何かが心のひだに沈んでいる。そんな記憶の断片が、洞窟の鉱石のように、彼女の心の中でひとつでも多く宿ってくれたらと。
昨年にも一度訪れて、今年も娘と夫と、三たび同じ場所へやってきた。
身長が伸び、乗れるアトラクションが増えた。怖がっていたコースターも、ゴーカートも、恐る恐る挑戦してみた。それが、想像以上に楽しかったらしく、はしゃぎ続けていた。
春休みのためか、思いのほか待ち時間があった。50分の間、家族3人であれこれ話したり手遊びをした。
娘が夫に手遊びを教えると、夫は数え歌に合わせて独創的な手技を繰り出した。それがおかしくて、3人でゲラゲラ笑った。「お父ちゃんがあんなに笑うの、はじめて見た!」と娘が後から何度も言うほどに。
手遊びの流れで、私もちょっとしたゲームを提案する。宙に右手で四角、左手で三角を同時に描いてみる。お次は、「両手でいくつまで数えられる?」と聞く。「10…?」という娘に、実はね片手だけで31まで数えられるよ、と二進法の数え方を見せた。すると、算数が苦手な娘の目が輝いた。宿題を毎日なんとかこなす娘に、二進法のことを話す余白など日常にはない。この待ち時間が、手遊びの延長で分かち合えるよき機会となった。
娘はいつも、「忘れた」「まぁ、いいや!」と言って、学校でのことやお友達とのやりとりをほとんど話すことがない。私たちが忙しくしていることに、気を遣っているのかもしれない。わからないけれど。
そんな私たちに与えられたアトラクションの待ち時間は、「守られた時間」だった。両親が中座することなくそばにいる時間に、娘は脈絡なく断片的に話してくれた。先生に叱られたこと、休み時間のこと、お友達としたこと。
ただ待つ時間の中に、得難い親子の対話が濃く刻まれた。
子どものころの記憶は、話したり書いたりすることで定着するという。もしかしたら、遊園地の本当の恩恵は、アトラクションの合間のこの時間にあるのかもしれない。
5歳の時に心へ沈んだ鉱石が、今日という一日を再び引き寄せた。
帰り際、娘が言った。「来年も来ようね」。
また、煌めく鉱石を集めていこう。来年も、そして、毎日の中に。


