娘を連れて一度、遊園地に行ったことがある。4年前の春のことだ。
5歳の誕生日のお祝いだった。
遊園地のゲートで、雲一つない青空と、やや強い風に乗ってやってくる甘いお菓子と花の香りに胸が高鳴った。
私は、はしゃぐ娘のスカートの裾がふわりと舞うのを眺めていた。「これでスカート作って!」と布を渡されてミシンを走らせたレイヤードスカート。特別な日に着てくれるなんて、心憎い。
入場するとすぐ、メインステージにキャラクターたちがやってきた。テーマソングに合わせて踊る様子に、娘は釘付けだった。ステージの向こうから、娘にハートのジェスチャーが送られた。それを見て、娘がはにかみながら真似する。
私も夫もあまり遊園地に縁のある子供ではなかった。けれど、娘を通して一緒に幼い頃を追体験するような時間がそこにあった。
最初に乗りたがったのはメリーゴーラウンド。どんな笑顔が撮れるだろうとカメラを構えると、娘は仁王のような顔をして立ち尽くしていた。理由は本人にもわからないらしい。
それがおかしくて、笑いを堪えきれない夫と並んで撮ったその一枚は、いまもカメラロールの「お気に入り」に入っている。
お昼どき、スマイルポテトがのった子どもランチを見て、娘が「わぁ!」と声をあげた。売店で買った犬のぬいぐるみを横に座らせて、ラーメンをひとくち、唐揚げをひとくち。花の形のおにぎりをひとかじり。「おいしいね!」と笑う。
——この子はいま、五歳の心で世界を受け取っている。
人生初の体験ひとつひとつが、そのまま刻まれていくのを感じていた。
「連れてこられてよかった」と独り言が口をついてでた。夫も「連れてきてあげられてよかったね」と呟いた。
遊園地の出口には、大きな絵本のモニュメントがあった。今日一日が、まるでそこに記された物語の一章のように思えた。
帰路の車中で眠る娘の手には、小さな「魔法のステッキ」が握られていた。スイッチを押すと、音楽が鳴りピカピカと桃色の光を発するおもちゃだ。
薄暗くなっていく遊園地の駐車場からチャイルドシートで眠りに落ちるまで、名残を惜しむように何度も何度も鳴らして眺めていた。
彼女にとって、夢のような1日だったのだろう。その甘い切なさをたっぷり胸にたたえて、ステッキを抱きしめたまま、帰宅するまでぐっすり眠った。
その後も、ステッキの電池が切れるまで、何度も鳴らしては夫に「もういい加減に寝なさい」とたしなめられる夜が続いた。
ステッキを処分してから、話題に上ることもなくなっていた。けれど、最近ふいに娘が言うようになった。
「あの遊園地へまた行きたいな。」

記憶はあいまいだが、何かが心に残っているのだという。
光、音、匂い……
心のひだに沈んだまま、洞窟の鉱石のように、色とりどりにきらめいているのかもしれない。
「もちろん、また行こうね」
そう答えながら、私は思った。
この子の心の奥底に、これからもそんな鉱石のような記憶の断片が、ひとつでも多く宿ってくれたらと。