現代造佛所私記 No.407「御仏像が決める行き先」

10年前、小田原の施主さん宅での閉眼法要に、0歳の娘を連れて行った。法衣をまとったご住職が、高知からお越しくださり、畳に座った赤ちゃんの娘に手を差し伸べている写真が残っている。

その娘が10歳になる今年、定福寺(高知県大豊町)の講堂落慶法要に家族で参列した。

始まりは一本の電話だった。高知への移住を相談していた定福寺の釣井住職(当時は副住職でいらしたかもしれない)に連絡を入れた。

神奈川の施主さんから不動三尊の修理のご依頼をいただいた際、こちらの不動三尊を両親が自宅にお堂を立てて守ってきたが、これからは「祀られ、祈られる場所に寄進したい。どこかよいところがないか探していただけないか」というご希望をいただいていた。

唯一、こうした話ができる間柄にあったのが、釣井住職だったのだ。私の高校の先輩で、釣井住職の義姉は吉田仏師の美術院時代の先輩でもあり、二重のご縁があった。

その一本の電話で、住職から、講堂を建てる計画があること、そこにお祀りするお仏像がいらっしゃらないことを伺った。

つまり、この最初の電話一本で、お不動様ご一行の行先が決まってしまったのである。

しかし、そこから講堂の完成までには、長い道のりがあった。老朽化した旧会館の再建には費用の問題もあり、容易ではなかったと伺っている。それでも住職の志は揺らがなかった。定福寺創建1300年、弘法大師誕生1250年という節目の年に計画が始動し、ついに今日という日を迎えた。

感極まって言葉に詰まる住職のご挨拶。汗だくになりながら、来賓をお接待されていた釣井住職、ご寺族と檀家さんの献身。笑あり、涙あり、そして晴々とした、なごやかな一日だった。

法要のあと、住職たっての願いで餅まきも行われた。老若男女が本堂前の鐘楼周辺に集まり、飛んでくる餅に手を伸ばし、ときに奪い合い、駆け引きしながら、最後はみんなで笑っていた。

会場では母校土佐塾高校の先輩後輩、同級生とも久しぶりに顔を合わせた。この10年の事業が、母校のご縁に多く支えられてきたことを、しみじみと感じる一日でもあった。

「仏像は行き先をご自身で決められる」と、あるとき誰かに言われたことがある。このお不動様とのご縁を話すと、多くの人が驚き、そしてお仏像の不思議さを感じられるようだ。

0歳で閉眼法要に参加した娘が、今日の落慶法要に並んで座っていたことは、なんとも言えない感慨があった。

この不動三尊は、私たちが高知に来る大きなきっかけとなったお像でもある。今日という日に、私たちにとっても、一つの節目を迎えたような気がしている。