現代造佛所私記 No.397「猪のローラー作戦と姫椿」

久々に、大家さんと立ち話をした。

今年80歳になる大家さんは、車を一時間ほど運転して山の手入れにいらっしゃる。長らく東京の大企業でバリバリのビジネスパーソンをされていて、退職されて高知へ戻られて久しい。

今は、山仕事もお手のものの作業着姿ばかりをお見かけするが、とても論理的で合理的、世界情勢にも通じていらっしゃるお話からは、大企業で世界を股にかけて高度成長期を駆け抜けたイメージがまっすぐ届く。

現在お一人暮らしだが、自律的な生活をされていて、常に心身を自省される姿には、凄みさえ感じる。

「雨上がりだから、筍が生えてるだろうと思ってきたけど、全然ダメだ。猪のローラー作戦でやられてしまった」

眉を顰め、すぐ少年のような顔でニカっと笑われた。 今年はどうやら筍にはありつけなさそうだが、そんな年もあるだろう。

大家さんに聞いてみたかったことを訊ねてみる。

まずは、この周りは昔、生姜畑だったこと。植林されて、景色はずいぶん変わったようだ。

あの山際の朽ちている空き家は、割と最近まで(といっても、大家さんが高知へ戻った時にはもう空き家だったらしいが)親子が住んでいた。しかし、折り合いが悪く、子どもさんは遠い土地に定住されたという。

もうあの家には誰も帰ってこないだろう。朽ちていくのを待つだけだと。

大家さんが生まれたのは、戦後間もないころ。当時は、子どもは家の手伝いをする、早く就職して家を助ける、という風潮の中、大家さんのお母様は、学業を修めることの重要性を説き、息子を街へ送り出したという。

ほんの少し声のトーンが小さくなった大家さんのお言葉に、胸がつまる。

この家をお借りすることが決まった時、室内に入れていただいた。今は私たちのものでいっぱいだが、その日この家は、床の間に三宝が並び、その中央に大きな掛け軸がかかっていた。大家さんのご両親が写真の中でにこやかに並んでいらして、当時の気配をほのかに残しつつも、取り壊されるのを待っていた。

仏像のご縁で、私たち家族が住まわせていただくことになり、この6年で、お客様もたくさんいらした。大家さんも、大家さんのご両親も、取り壊しから一転、海外からも人が来るようになったこの家の今を、面白くご覧になってくださっていると嬉しい。

そんな新たな役割を得たこの家にあって、この土地の生きた記憶をもつ人のお話を、もっと聴きたいと思う。大家さんは、そんなこの土地で生まれ育った人の、最後の世代だ。

「この姫椿、この間の雅楽の演奏会で少し分けていただきました」

大家さんのお父様が植えられた椿は、全身ピンクの花で着飾って、今まさに花嫁のようだ。お分けいただいたお礼を伝えた。

「俺のできないことは子どもを産むことだけだ」と豪語されていたという大家さんのお父様。複数の人から、矍鑠(かくしゃく)とされていたと聞いている。

そんな方が、こんなに可愛らしいお花を愛でられたのだな、と目を細めてしまう。もしかしたら、奥様のために植えられたのだろうか。想像が膨らむ。

あとどれくらい、こんな話をして笑い合えるのだろう。 時間は止まってくれない。