ただ露出を増やすことと、価値が伝わることはイコールではない。目的のために、前に出るべき時は、出るという決断も必要。あの頃は、メディアに出る意味もよく知らなかった。
自分が伝えたい事を言うなら、広告がよい。
PRの場合は、誰かと自分たち両方にとってこれは価値があるよ、と「第三者」に伝えてもらうことになる。だから、その第三者が「これは伝えたい」「こう言う人に有益だ」と思えないと、伝えてはくれない。
パブリシティ(報道機関に情報提供し、記事や番組として取り上げてもらうこと)は、PRの手法の一つ。その報道の内容は、こちらは基本的にコントロールできない。けれど、情報提供の質や、担当者の情熱は、報道の質にも影響すると感じる。どんな素材を、どんな想いで届けるかによって、記事の温度も変わるのが現場の実感だ。
そしてもう一つ、当時の私に決定的に欠けていたものがある。露出の「後」の動線だ。
メディアで知った人が、次にどこに辿り着くのか。多くはインターネットで検索されて、ホームページ、SNSに流れてくる。
ホームページやSNSは、サービスへの案内や問い合わせ窓口への道筋は整っているだろうか?そこが整備されていなければ、こちらが価値を提供できるかもしれない人を、案内することができない。
そこにできる空白を、結局望まぬサービスの営業電話が埋めてしまう、なんてことになりかねない。
操作的なニュアンスを感じる人もいるかもしれないが、決してそうではない。操作的なPRは、おそらく行き詰まるであろう。と言うのは、PRは関わる人と自分たちのよりよい未来に向かって、合意し行動していくプロセスであり、丁寧な関係づくりそのものだからだ。
同時に、セーフティネットを作ることでもある。自分たちの立場や考えを公に示しておくことで、無用な売り込みや、意図しないトラブルから身を守ることにもつながる。
あの頃の失敗が、なんだったのか、10年経って考えられるようになった。露出はPRのごく一部の手段であって、目的ではない。大切なのは、合意形成のプロセスという認識と、露出や導線の歯車が噛み合うように設計すること。
そして、メディアに出たいと思った時、まず考えてみてほしい。
「どんな未来を求めているのか?」
そのために、時には自らがメディアに登場すること、開示することも覚悟できるだろうか?
そこから逆算して描く道筋が、PRを迷子にしないための指針になる。


