プレスリリースを作って、マスメディアに情報提供している寺もある。試行錯誤でホームページやSNSを立ち上げ、手探りで更新しているご住職もいる。SNS担当を立ててからフォロワーが増え、来訪者増につながった寺もあると聞く。
どれが正解ということではないし、私が答えを持っているわけでもない。私自身、試行錯誤の中にいる。ただ、造佛所とPRの両方の現場に関わる者として、共に考え、これからを描きたいと思っている。
PRの観点から言えば、ホームページとSNSの両輪が理想ではある。現実的には、まずSNSが取りかかりやすいと思う。匿名あるいは個人のアカウントとは別に「公式アカウント」を立ち上げて、境内の花や行事の一場面を発信してみる。
同じ町内、市内、県内の人とつながることから始めてみる。月に一度でもよいし、もちろんそれすら難しいほどお忙しい方がおられることも、前編に書いた通りである。あえて発信しないという選択も、そのお寺の尊重されるべき在り方だと思う。
ただ、「発信したいのにできない」というお寺さんには、小さな一歩でも踏み出してみてほしい。それだけでも、お寺のことが外から少し見えるようになる。このお寺に行ってみたいな、この住職のお話を聞いてみたいな、と思ってもらえるきっかけになるかもしれない。それに、お寺のスタンスを公に示しておくことは、無用なトラブルを避けることにもつながる。
すでに発信を始めているお寺には、その先もある。メディアに取り上げてもらうことはPRの基本ではあるけれど、それ自体は目的ではない。PRができることは、「お寺、そして仏教は自分にも開かれている」という認識の変化をもたらし、一歩踏み出すための後押しをすること。
一度報道されただけでは、その変化は根づかない。寺報、SNS、ホームページ、地域や行政、メディアとの信頼関係——今取り組まれている一つ一つの発信の歯車を、噛み合うように設計し動力(情報発信)を継続して流していくこと。その積み重ねが、お寺の存在をより確かなものにしていくと思う。
ネット上に情報がないと、新しくお寺を探している人にとっては、”存在しない”ことに近づいてしまう。もちろん、地域の人や寺報で繋がっている檀家さんにとって、そのお寺は確かにそこにある。けれど、まだ出会えていない誰かにとっては、検索に現れないものは見えない。約一割というホームページ保有率は、伝道の入り口が一つ少ないということでもあると思う。
お寺は、仏教という世界への一つの入り口だ。だからこそ、見えるところに存在があってほしいと思う。DXの是非というより、必要な人が「行ってもよいんだ」と思えるための、道筋として。
「私にも開かれている場所なんだ」と伝わること。誰かがそう思えた、その小さな芽吹きが、人生を大きく変えることがある。
私がお寺に足を踏み入れたのは、インターネットのない時代のことだった。日頃のお墓参り、夏の盆踊り、お盆にお経をあげに来てくださるご住職。そうした暮らしの中の繋がりの延長線に、お寺があった。かつて突然お邪魔した女の子に、優しく仏教のお話をしてくださったご住職様のおかげで、今こうして仏像工房を営む未来が生まれた。
あの頃、お寺が見えていたのは、暮らしの中にお寺があったからだ。SNSがその代わりになれるとは思わない。けれど、その繋がりが薄れた今、別の形で「ここにいますよ」と伝える手段があった方が、幸せな人が増えるのではないだろうか。


