「お寺って、行って良いかわからないんですよね。」
「お寺って、心が弱い人がいくところですよね。」
30〜40代の人と話していて、実際に聞いた言葉だ。
お寺にもよるが、開かれた行事にはたいてい檀家でなくても行けるし、それは心が弱いかどうかに関係がない。
私自身にとって、お寺はとても大切な存在だけど、社会の中で今、お寺の役割は、どのように受け止められているのだろう、と考える。
仏像製作や修理、そしてPRの仕事を通じて、いくつもの寺院とご縁をいただいてきた。ご住職のお話を伺い、檀家の方々の思いに触れる中で、繰り返し耳にした言葉がある。
「どうやったら知ってもらえるんだろう。」 「どうやったら来てもらえるんだろう。」
仏教が知られなくてよい、と思うお寺は一つもないと思う。
にも関わらず、外からは「行って良いかわからない」というギャップ。勇気を出して行ってみたは良いが、思うように歓迎されなかったという話も聞く。ただ、これはお寺側の問題とばかりは言えない。突然知らない方が訪ねてこられても、法務の最中であれば対応が難しいこともある。セキュリティの問題もある。お寺と参拝者との間にも、相性やタイミングがある。
だからこそ、事前に「どんなお寺なのか」が見えることが大切なのだと思う。けれど、その情報が足りていないのではないだろうか。
数字を一つ挙げてみる。
他の宗派のデータは掴めなかったが、浄土宗では、全寺院のうちホームページを所有しているのは約一割にとどまるという。一方、総務省の調査では個人のインターネット普及率は85.6%。
85.6%の人がインターネットを使う社会で、約一割しかホームページを持たない。もちろん、ご住職自身はインターネットを日常的に使っておられる方も多い。発信に割く余裕がないのだと思う。
工房には、寺院の方からPRやSNS運用のご相談をいただくことがある。お話を伺うと、皆さん本当に忙しい。法務に追われ、地域行事に奔走し、檀家さんの対応に心を砕く。一体いつ休んでおられるのかと思うほどである。昨年サポートしたお寺のご住職は、しばらく布団で寝ていない、とおっしゃっていたことがあり、心底心配した。
中には、SNSやホームページの更新が滞ることが、ストレスになっている方もいらした。炎上を必要以上に恐れていらっしゃるなと思うこともある。
一方で、あえて沈黙を選ぶお寺もある。檀家さんの法要を守ることが第一であり、不特定多数の来訪がかえってその妨げになる場合もある。発信しないことも、そのお寺の在り方として尊重されるべきだと思う。
それでも、多くのお寺が、何らかの形で情報発信の必要性を感じておられる。寺報を続け、行事を開き、掲示板の言葉を書き換え、季節の法語を掲げる。そうした地道な営みを、工房の立場からも、一人のco-buddhistとしても、ずっとみている。(続く)
アイキャッチは、高知市の吸江寺。毎週月曜日にどなたでも坐禅会に参加できます。


