現代造佛所私記 No.295「取るに足らないこと」

ここ数日、どうしても優先順位を譲れないことがあった。

古タオルを雑巾に仕立てることと、台所の焦げとりである。

頭では、ほかに先に手をつけるべきことがあるとわかっている。 仕事の段取り、後回しにしている連絡、片づけきれていない書類。

だが、手も頭も、そちらへ向かってくれない。体のどこかが、これをやらねば先へ進めぬ、と言い張るのだ。

仕方がないので、古タオルを裁ち、ミシンを走らせる。一気に雑巾を12枚つくった。直線縫いをただ繰り返す。それが、なんとも楽しい。「これ、好き」と、細胞が言う。

続けて、五徳やグリル、ヤカンの焦げを落とす。焦げとりスプレーをしてしばらく放置し、その後重曹で磨き上げる。だんだんピカピカしてくると、口元がゆるむ。

その勢いで居間にも手を伸ばす。散らかっているのは、今の我が家ではどうしても、子どものものが多い。おもちゃ、工作のパーツの数々、本、プリント類。

ひとまずコンテナにまとめ、娘に整理を任せる。

部屋の埃をはらい、拭きあげていくと、部屋の輪郭が、徐々にはっきりしてくる。例年に比べてだいぶ暖かいけれど、やはり年末だなぁと、口をつく。

目処がついたところで、雑巾を洗うために桶に水を張った。取り出したのは、気に入りの洗濯板。桜の木でできた小ぶりの品で、もう20年くらい使っている。

自分で縫った雑巾が、真っ黒になった。さっと水洗いし、石鹸を塗りつけて洗濯板に押し当てる。 こすり、ゆすぎ、またこする。動きはごく単純だ。力の入れ具合も、回数も、その場で自然に決まっていく。

汚れが落ちていく変化が、手のひらにそのまま伝わる。水が濁り、澄んでいく。汚れが落ちた雑巾を、キュッと絞ると、侘びた清潔感さえ漂う。

雑巾を干しながら、ふと気づく。身体のなかの、どこか詰まっていた場所が、すうっと通った感じがする。

「何より優先せよ」と体が訴えてきたのは、これが欲しかったからかもしれない。

娘も、私の様子につられたのだろうか。 いつもは気乗りしない整理整頓を、今日は珍しく、進んでやっていた。

生活の、どうということのない作業。誰に言うでもない、小さな日常。

けれど、そこに、なんとも言えない喜びを感じること。

こういうものが、ひとつやふたつ、 誰の暮らしにもあるのではないだろうか。

取るに足らないことだけれど、 取るに足らないからこそ、このコラムに記しておこう。