五日間にわたる仏像の応急処置を終えた。今回の拠点は輪島市である。
出発の朝、宿の女将さんとしばらく言葉を交わした。ご自宅は半壊し、元のように建て直す資金はないという。補助の範囲で、どうにか住めるよう整えるしかない。宿そのものは残っただけでもありがたい、けれどもやはり修繕が必要だった、と女将さんは言った。
以前のような、漁師町らしい見事な海鮮料理を出せるまでには、まだ時間がかかるらしい。それでも女将さんの表情やお声は、穏やかで明るかった。
現地で仏像の状態を拝見すると、写真や事前情報では追いきれなかった傷みに、どうしても対面することになる。その場で判断し、数時間のうちに「おまつりできる姿」へと整える。その緊張は、身体の深いところに静かに澱を作っていく。
宿の周囲を歩くと、空き地となった家々、再開のめどが立たない宿、崩れた歩道や、ねじれたままの道路が目に入った。震災の爪痕は、美しい輪島の風景のあちこちに留まっていた。 そのような環境のなかでも、宿では朝晩、家庭料理のような食事を用意してくださった。そして一日の終わりには、大きな家族風呂で手足をゆっくり伸ばすことができた。埃にまみれて戻る毎日、その時間がどれほどありがたかったことか。
吉田仏師が、仏師としての務めを果たすことができたのは、宿の皆様をはじめ、現地を調整してくださった方々、所蔵者様、多くの人の見えない働きが折り重なったおかげである。わたしたちが用意した、ちょっとした土産の何倍もの手土産を持たせてくださった輪島の人々。
心の通いあいに、自分でも知らなかった底力が湧いてくるのを感じた。
その支えの一つひとつを思いながら、能登での一週間を振り返っている。疲れは確かに身体に残っているけれど、それは重たいばかりのものではない。
仏さまに向き合った時間、女将さんの笑顔、湯に浸かった静寧、それらすべてが今、この疲労のなかに溶け込んで、幸福なまどろみをもたらしている。
アイキャッチは、震災前の輪島の町のジオラマ。「友達とあそんだ」のタグが胸に迫る。


