現代造佛所私記 No.268「工事の音と三宝と」

ガタン、ガタン。ブーン。ドーン。 小高い丘の上の境内で、重機が絶えず首を振っている。

背後で「コン」と小さな音がして振り返ると、一尺ほどの板材が車のボディに泥をつけ、ぽとりと落ちた。足元のぬかるんだ地面には、似たような端材が無数に散らばっている。

公費解体が進んでいると聞いていた現場には、大きなトラックや重機が並び唸り声を上げていた。私の乗ってきた小さな車は、まるで恐竜の群れに迷い込んだ野うさぎのようだった。

かつて本堂があった場所は、すでに跡形もない。仏像も法具も多くが流失し、住民の多くは別の土地へ移られたという。

北の町らしい、重厚な民家の連なる集落。雨上がりの紅葉はしっとりと美しく、絵はがきのような景色だ。けれど、その場にいるのは工事関係者と、道の真ん中で毛繕いする茶トラ猫だけで、住民の姿はなかった。

「ここは、地震より、洪水の影響が大きかったんです。でも、たずねてくださる方が一人でもいる限り、お寺にはいないといけないと思って」

そう言って笑われたご住職は、どこまでも朗らかで、陽だまりの精のようだった。再建の目処は立っていなくても、残った庫裡(くり)に仏様を丁寧にお祀りし、変わらぬお勤めを続けておられる。

私たちが通された和室の床の間には、阿弥陀様が祀られ、白檀の香りが終始やさしく漂っていた。

被災地で、痛んだ伽藍や本堂の跡地を見ると、胸がぎゅうっと締めつけられる。けれど、何人もの僧侶の方に出会ううちに、ふと気づいたことがあった。

伽藍が失われても、伝道そのものは揺らいでいないのではないか、と。

仏様の御影である仏像がおわし、教えを伝える僧侶がいて、そこへ足を運ぶ人がいる。三宝がそろっている、ということの深い意味を、彼らはその佇まいで教えてくださるのだ。

落ちた蓮弁や折れた光背が、ほんの数時間のうちにあるべき姿を取り戻したとき、ご住職は「わぁ……」と小さく声をあげ、胸の前で静かに手を合わされた。

失われたものを数えれば、気が遠くなる。けれど、守るべき核心は、揺らいでいない。 ご住職の笑顔が、それを教えてくれた。

白檀の芳香と仏様の円満なお姿、そして三宝を守り続ける僧侶の微笑み。

それは、嵐のような工事の音さえ、闇を砕く祝砲に変えていくのだった。