今朝は月詣りの日だった。吉田仏師と連れ立って、参道を歩く。
石段を三分の一ほど上がると鳥居がある。一礼してふと目の端に蠢くものを捉えた。鳥居の向こう、石段の左際に、黒と黄の影が群れて揺れている。スズメバチだ。地面を這うように、何かを探している。
ああ、と思った。今日はここまで。
鳥居の手前で手を合わせ、祝詞を奏上し、遥拝という形をとった。ささやかな祈りと決意を氏神様に差し出し、ゆっくりと頭を下げる。来た道を戻った。
帰り道、参道の脇の柚子の木に目を留めた。枝という枝に、まあるい実がぶら下がっている。うちの小さな柑橘の苗には、ナミアゲハの幼虫が九匹もたかっていたのを思い出して、この柚子にもいないかしらと葉や枝を覗き込んでみる。
ナミアゲハにとっては最高のレストランのはずだが、葉は食べられていないし、姿も見えない。つやつやした葉は色濃く、形を美しく保っていた。虫の気配がない。薬でも撒かれているのだろうか。「誰もお世話しなくなったから、自由に柚子をとっていいよ」と、氏子である老婦人に言っていただいていたので、薬の可能性は低いとは思ったが、いずれにせよ、青虫は見当たらなかった。アゲハというのは、案外好みがうるさいのかもしれない。
うちの五つの柑橘の苗では、九匹が二匹になった。葉は、一つ残らず食べられてしまった苗もある。寒々しい姿だ。けれど今朝、ふと枝の先に目をやると、柔らかそうな、可愛らしい新芽がちょこんと顔を出していた。よく見れば、あちこちから。食べられても食べられても、また芽吹く。この逞しさはどこから来るのだろう。
そういえば、庭の隅では、伸び放題の野薔薇が、昨年からこの時期に勝手に花をつけるようになった冬瓜の蔓と、しっかりと握手をしていた。野薔薇と冬瓜。こんな取り合わせは初めて見た。二つが絡み合って、自然のアーチを描いている。誰が仕組んだわけでもない。勝手に出会って、勝手に寄り添っている。
氏神様のお膝元で、今日もあらゆる命が巡っている。スズメバチも、柚子も、アゲハの幼虫も、野薔薇も冬瓜も。それぞれが、それぞれの暮らしを営んでいる。私もその一部だ。


