彼岸花の赤が道端に燃え、フジバカマの薄紫が風に揺れている。柿の実が重たげに色づき、青い柚子がぽってりと膨らみはじめた。 誰もいない細い参道を歩けば、雨上がりのぬかるんだ土が、チャ、チャ、となる。サラリとした微風が耳たぶを撫でていく。
運動不足の身体を励まして、神社の石段を上り下りする。何度目かの往復で、ふと気がついた。いつも気になっていた崩れかけの段が、かっちりとコンクリートで補強されている。割れて緩んでいたところ、ひび割れなどが、白灰色に補われていた。
あと三人しかいない氏子さんのお一人が、直してくださったのだろう。すぐにお顔が浮かんだ。
私は改めてその段を見つめた。月二回お詣りする私たち夫婦以外、日頃お詣りする人はほとんどいない。それでも、誰かがこうして守り続けて下さっている。
きっと、まだ暑さの厳しい盛りのころ、汗を額に浮かべ、あの細身の背中を濡らしながら、黙々と作業をしてくださったのだろう。セメントを練る音、コテで整える手つき、石段一つひとつに向き合う横顔——そんな姿を思い浮かべながら、私は再び石段を往復した。
神様にご挨拶をして振り返ると、視界がすうっと開ける。眼下に広がるこの集落での暮らしは、あとどれほど続くのだろうか。娘は「ずっと住みたい」と言う。静かで気楽な環境だ。けれども一方で、「あと数年かな。動けるうちに街へ出ようかと思っている」と、話されるご近所さんもいる。
私たちも、そう遠くないうちにここでの仏像修理を終えることになる。そう思うと、この石段から見える景色を、秋の陽だまりも、遠くの山並みも、庭先に干されたシーツの風情も、今のまますべて心に焼きつけておきたいと強く願った。
時は移ろい、人は去りゆく。それでもなお、誰かの手によって補強された石段が、静かにそこにあり続けている。その確かな存在に、私は深い慰めを覚えるのだった。
(アイキャッチは、5年前引っ越した年の秋。娘はいまや肩車できないくらい大きくなりました)


