現代造佛所私記 No.208「栗のお裾分け」

玄関のチャイムが鳴った。

秋風の立ち始めたある朝のこと。扉を開けば、大家さんがそこに立っていらした。手には白いレジ袋。持ち手が中身の重みで、ぴんと張り詰めている。

「これ、栗です。どうぞ」

袋を覗けば、鬼皮に包まれた艶やかな大ぶりの栗が、ごろりごろりと音を立てそうに転がっていた。

「とってもとっても、あるから」

そう言って、ふっと笑みを浮かべて差し出される。

普段はあまり馴れ馴れしくされない方だけれど、こうして折に触れて季節の恵みを運んできてくださる。わざわざ拾い集めて、わざわざ足を向けてくださった心遣いが、胸の奥に温かく沁みわたる。

レジ袋のずしりとした重み。それはそのまま、秋というものの重さだった。

「栗!」

娘がぱっと目を輝かせる。

「これ、工作に使っていい?!」

見開いた目をそのまま私に向けて、わくわくという音が聞こえてきそうな顔をしている。思わず笑ってしまった。この子にとっては、森で拾うどんぐりと何ら変わりのない、遊びの材料らしい。

「二つあったらね、たぬきさんが作れるの!」

それもいいけれど、せっかく大家さんが拾ってくださった栗だもの。今度お散歩のときに工作用のを集めましょうと話すと、「えー」と口を尖らせながらも、わかったと小さく頷いた。

「栗ご飯だね。お正月用にも残しておかないと」

台所での作業が頭に浮かぶ。鬼皮を剥いて、渋皮と格闘して。少し手間はかかるけれど、その無心になれるひととき、包丁の音、ほっこり湯気の立つ食卓の暖かさ—すべてが心に浮かんでくる。

炊きたての栗ご飯を家族で頬張るときの、ほくほくとした甘さ。甘露煮にしてお節に添える、黄金色の輝き。まだ見ぬその光景を思い浮かべただけで、胸の内にひたひたと温かい潤いが満ちてくる。

実りの秋が、今年もやってきた。

ふと見上げると、家の前の柿の木にも、いくつかの実が橙に色づいている。季節は確かに巡り、何事もないかのように暮らしを彩っている。大家さんが運んできてくださった栗は、その確かな証のように思えた。

日々の暮らしは慌ただしく、思うようにいかぬこともある。けれどこうして、誰かが分けてくださる実りや、自然からの恵みに目を向けていると、心に自ずと余裕が戻ってくる。

袋いっぱいの栗を前にしながら、小さな安心を胸に抱いた。

ああ、季節に包まれて暮らしているのだと。そのことを、栗の重みとともに、改めて思った。