赤子の頃から中学生まで一緒に過ごした幼なじみと、久しぶりにごはんを食べた。
場所は、高知市の石窯のある本格イタリアン。やさしい照明の下、生花やピノキオの置物など、かわいいオブジェが飾られている。親しみやすさと洗練が同居する、居心地のいい空間だった。
家族でもよくランチに訪れるお気に入りのお店。関東に住む彼女から帰省時に誘われて、「ぜひこのお店に」と私から提案したのだった。
私は少し早く着き、予約してくれていた彼女の姓を伝えて、二人がけの椅子席に通された。もうすぐ会えるという懐かしさで胸が高鳴り、躍るような気持ちでメニューを眺めた。
何年かぶりの再会だったが、目が合った瞬間、私たちは子どもの頃に戻っていた。
ピザはトマトソースのハーフ&ハーフを一枚、季節のパスタを一皿。アペタイザーも一皿。レモンソーダを一杯ずつ。食後にはティラミスと小さなチョコレートのお菓子を分け合った。彼女はブラックコーヒー、私はカフェラテ。
仲良く分け合うことに、何の躊躇いも遠慮もない。
そういえば、お互い子どもの頃の気に入りの絵本の一つが「おんなじ おんなじ」だった。あの絵本の「ぶう」と「ぴょん」は、私たちみたいだった、と思い出したりした。
どれもおいしくて、やりとりの一つひとつが自然で、ただうれしかった。
子どもの頃の私たちは、保育園や学校から帰るとどちらかの家に集まり、みかんのコンテナを机にして塗り絵をしたり、一緒に宿題をしたり、歌手ごっこ、どろんこ遊び、かくれんぼ……あらゆる遊びをともにして育った。
誕生日も一ヶ月違いの同い年。中学生の頃には「双子みたい」と言われたこともある。ふた従姉妹ということもあり、雰囲気がどこか似ていたのは血筋かもしれない。私にとって彼女はずっと、もうひとりの姉妹のような存在だった。
思い出は多すぎて選べない。けれど、彼女の清潔感は子どもの頃から際立っていた。きれいに整えられた髪や身だしなみ、教科書や筆記用具をいつも丁寧にそろえていた姿を、今もはっきりと覚えている。
そして、文章を書くのも本当に上手だった。誇張や演出がなく、すっと息の通ったような、清潔な言葉を紡ぐ人だ。
「さおり、豊かで楽しそうな暮らしをしてるなあって思ってた」
SNSを見てくれていた彼女がそう言ってくれたとき、照れくさくて、でもどこか誇らしくて、胸の奥がぽっとあたたかくなるのを感じた。
いつも穏やかで朗らかな彼女。けれど、これまでにどれほどの悲しみを越えてきたのか、私は本当のところまでは分からない。
いくつかの出来事を知っているからこそ、思う。もし私が彼女の立場だったなら、こんなふうに慎み深く、やさしさを注げる人でいられただろうかと。
そんなふうに、強く、忍耐強く、寛容に生きる彼女の姿を、私は誇りに思っている。
そして、そんな彼女を知っている自分自身に、祝福を贈りたいと心から思う。
次に会えるのがいつになるかは分からない。
けれど願わくば、またふたりだけで、ただの幼なじみに戻れるような、静かな時間を持てたらと願っている。
秋は、私たちが生まれた季節。
今年もまた、その季節が、静かに近づいてくる。


