現代造佛所私記No.139「ひぐらしや」

蜩や 暗しと思ふ 厨ごと

中村汀女

夏の記憶にはいつも「ひぐらしの声」がある。そして。この句をふと思い出す。

それは夏の終わりの気配ではなく、夏1日の終わりを告げる、静かな合図だ。

梅雨が戻ったかのような曇天の午後。小学生の娘は一学期を修め、いよいよ夏休みがはじまった。

何をしようかワクワクと心躍らせている娘の横で、既に暑さがこたえて、重だるい体をようよう起こし、パソコンに向かう私。各所への連絡業務を済ませて、ようやくひと息ついた夕方だった。

ポツポツと、ほんのわずかな雨粒が舞う曇天のなか、ひぐらしが一斉に鳴き始めた。

——あれ?こんなに美しかっただろうか?

思わず耳を澄ました。

「ねぇ、Yちゃん、虫さんの声、きこえる?」

声をかけると、プリントでいっぱいにした居間から、娘はこう答えた。

「聴こえるよ! 夏の夕方のオーケストラだね」

まるで、管絃の始まりのような、しっとりと潤んだ、涼やかな多重の響き。
しばし、ふたりして音に身をゆだねた。

わたしにとって、ひぐらしの声は「もう遊ぶ時間はおしまい」と告げる、1日の終わりの合図だった。

娘はつい先日、その虫の名をはじめて覚えたという。年上の友人が教えてくれたらしく、名前と鳴き声を認識していた。

ひぐらしの声は、郷愁をくすぐる。あぁ、そういっている間に記憶の蓋が開いてしまう。

幼いころの夏の午後。海と川で思い切り遊び、昼寝から起きて食べた、ソーダ味のアイス。

近所の小さな駄菓子屋の引き戸を、カラカラと開けると、天井までびっしりとお菓子が積み上がっていた。ジュース、ガム、インスタントラーメンまで、所狭しと並んだ店内。

幼なじみと二、三人で肩を寄せ合い、宝さがしのように物色した日々。記憶のなかの背丈はあどけなく、小さなからだを思い出すと、頬が緩む。

「おばちゃーん」と店主を呼べば、奥から「はーい」と声がして、白い前掛けをしたたおばちゃんが、畳の上をサッサッと音を立てて出てきてくれた。

小さな冷凍ストッカーには、いつもアイスがぎゅうぎゅうに詰まっていて、霜を払いながらお目当てを探す時間は、まるで冒険だった。

限りあるお小遣いをどう使うか、一生懸命に迷っていると、おばちゃんは黙って微笑みながら、じっと待っていてくれた。

戦利品を手に帰宅すると、少し風が出てくるころ。父が畑の野菜に水を撒き、母は台所で夕飯の支度をする時間だ。

畑に出てみると、きゅうりもトマトも、水を弾いてつややかに光っていた。蚊に喰われながら、父に言われるまま収穫に精を出す。

むんと地面から立ち上る土の匂いを嗅ぎながら、手足に水滴を受け、ハサミでパチン、パチンと野菜を採っていく。

「食べてみぃ」

そう言われて洗ってかじると、青臭くもジューシーな香りが、鼻にすうっと抜けた。

やがて、ひぐらしが鳴き始める。

その声は、「もうすぐ夜がくるよ」という合図だった。

夏休みは、昼も夜も楽しい。
だけど、なぜだかひぐらしの鳴く夕暮れ時だけは、胸がきゅうっと締めつけられるような、物悲しさに苛まれた。

それはほんの僅かな感覚だったけれど、子ども心に、確実に切なさを刻んでいった。

いま、あの駄菓子屋も、おばちゃんも、もういない。「キャンデー買うてこい」と駄賃をくれた祖母も、よく花の手入れをしていた近所のおじいさんもいない。遊んだ友も、遠くの街に引っ越してしまった。野菜がすずなりだった畑は、いまは小さな物置小屋が建っている。

それでも、ひぐらしは変わらない。今年も、夏の朝と夕に、指揮者のいない雅楽演奏の前触れのように鳴いている。

その声は、夢のように霧散した景色を、ひとときだけ連れ戻してくれる。忘れていた金色の光の粒、にじむ夕焼け、スーッと伸びる蚊取り線香の煙。

今日はそんな日だ。

「蜩や 暗しと思ふ 厨ごと」

ひぐらしが鳴き始めるころ、母の立つ台所が、ふと暗く見える。その陰りは時に、少し怖くもあった。

何か別の時空へと入り込んでいくような、誰か一緒にいてと、言いたくなるような、得体の知れない不安。その感受性は、子ども時代にしか持てない特別なものだったのかもしれない。

この夏、9歳の娘ははじめて「ひぐらし」に出会った。そして、わたしは、遠い夏の日々を再び思い出した。

夕暮れに耳を澄ましながら、二度と戻らない夏の日に、そっと手を伸ばしてみる。かつてそこにあった豊かさの上に、新たな記憶を、優しく重ねていけたらと思う。

ひぐらしの声は、失われたすべての風景とともに、いまこの夕方を、静かに、美しく歌っている。

わたしたちは、たしかにあったあの夏の日々を胸に、これからまた、新しい季節を歩いていく。

1000日コラム 夏の特別企画「ことばの種、お育てします」第四話 完
ことばの種「ひぐらしゼミ」から、芽吹いたお話でした。