九月一日、お朔日(ついたち)詣り。
夫と並んで、家から数分の氏神様へ向かう。苔むした石段は二、三年前に氏子の方々が直してくださったものの、土が流れて再び崩れはじめていて、足元を見ていないと危険だ。ところどころはスロープのように傾斜がついて、石がぐらぐらと揺れているところもある。
この神社は、多くの神様が合祀された社だ。
かつては二、三百人が暮らす集落で、学校や保育園もあり、祭りの日には賑やかに直会が行われていたと聞く。
拝殿には百年ほど前の絵馬たちが掲げられている。馬や武者の絵柄が色あせながらも残り、往時の熱気が偲ばれる。いまも年に二度の大祭が営まれているが、参列するのは数名ほど。氏子は三世帯、手伝いの人が数名という静かな営みで祈りが守られている。
三年前までは、うちの作業場のさらに奥に住んでいた老婦人が、月に一度シニアカーに乗って坂道を降りてこられ、欠かさずお詣りをされていた。その姿ももうなく、社の屋根や建物の修繕も難しくなっている。それでも私たちは、こうして毎月2回足を運んでは祝詞を奏上し、笛や箏を奏でている。
娘も時折、休みが重なると一緒に参拝することもある。家での日々の祝詞を、ふにゃふにゃと真似て口にしているうちに、自然とリズムや響きを覚えたらしい。言葉はおぼろげでも、幼い頃の記憶として「参拝していたなあ」と思い出してくれる日が来るだろうか。
私にとって朔日詣りは、暮らしの大きな折り目だ。季節の変化を肌で感じ、日々の感謝を伝え、これからの決意や抱負を御神前で確かめる。そのたびに心が定まり、また歩き出す力をいただく。
今日も龍笛を携え、平調の曲を神さまへお供えした。
音は風にまじり、静かに社をめぐっていった。
その帰り道、残暑厳しい日差しの中に、萩の花や色づき始めた柿があった。
九月一日、秋が顔を見せている。


