現代造佛所私記 No.402「学ぶは真似ぶ」

10歳になる娘の生活には、生まれる前からずっと弓道があった。

私が妊婦のとき、東京の弓道場で、出産・育児のためしばらく鍛錬できないだろうと、医師に相談の上、吉田と連れ立って最後の練習にいった。今となっては懐かしいばかりの人たちと、いっしょに鍛錬した夜のことを思い出す。

彼女が生まれてからは、親子3人で、東京と四国のさまざまな道場を訪れた。弓師の工房にも、矢師のお店にも連れて行った。

範士のH先生の私設の美しい道場では、赤子づれの鍛錬を歓迎してくださった。赤ちゃんの彼女を孫娘のように抱いて、みっちりご指導くださったH先生。時に、「会」に入った私の足にはいはいしてまとわりつく娘を見守りながら、「どんなときも集中」とおっしゃった。

一歳になったばかり娘は、たとえぐずっていても、H先生が道場にお入りになるとぴたりと鎮まった。まさに、泣く子も黙るH先生。弓には厳しい先生だけど、娘には「優しいじいじ」だった。

自宅では、私のゴム弓で遊んでいた。両親の真似をして、ゴムを引っ張ったりバチんと離してみたり。ちゃんと残心があるのが、驚きでもあり、おかしかった。

そんな彼女が3歳になると、ある道場の個人練習で私たちが休憩していると、ゴム弓を持ち出し射位にたった。打起こしから大三、両親を見ていてやってみたいと思ったのだろう。

昨年6月に、岡山の弓師さんの工房に行った時、子供用の竹弓を持たせてくださった。弓立てに戻す時、「弓の扱い知ってるな」と弓師さんが少し笑っておっしゃった。

誰かに教えられたのではなかったし、私たちも勧めたわけではない。だけど、弓の立て方を自然と身につけ、なんとなく射法八節を誦じるようになっていた。

そして、今月。
「弓道してみたい」とポツリとだが、何か確かさのある声色でもらした彼女へ、吉田は手製の竹弓を、私はゴム弓を贈った。

吉田の指導で、これまでとは別次元の解像度で、弦の張り方を練習し、一通りの型をさらった。

遊びの真似から始まって、いつのまにか稽古に移行した。やらせようとしたことは一度もなかった。彼女のそばに、いつも弓の世界が開いていただけで、ゴム弓で遊び、見取り、真似してきた彼女自身が、また新たな一歩を踏み出した。

赤子から見てきた人が、道に踏み出す様を見られるのは、僥倖だ。

参考:全日本弓道連盟「弓道用語集」 https://www.kyudo.jp/howto/terminology.html