現代造佛所私記 No.392「肉筆尊し」

肉筆というのはいいものだ。
ペンのインクや筆圧で凹凸のある便箋の尊さ。 先日の雅楽演奏会のニュースをご覧になった方から、お便りが届いた。

「雅楽演奏の陣容が整って、このように発表できるのは貴重なことと思います」

そう、「発表できる」ことは、貴重なのだ。

1000年以上受け継がれてきた音楽を、今、ここで奏られること。 それを聴いてみむと集まってくれる人がいること。 メディアが取り上げてくれること。その全体を整えてくださる人がいること。それが許される世界であること。

当たり前ではない。

3月22日、のいちふれあいセンターで開いた小さな演奏会。 40名ほどの参加者から、96.8%という脅威の回収率でアンケートのご回答をいただいた。 回答特典もないのに、ほぼ全員が言葉を寄せてくださった。

「一曲目の音色から涙が止まらなかった」
「心が洗われた」

こうした声に、私たちの方が嬉し泣きしている。

お便りには、こうも書かれていた。

「身近な現代曲も加えて親しみやすく、これも皆様の努力と工夫のたまもの」

春の色を纏った装束。 やさしい日本語での説明。 「見上げてごらん夜の星を」を会場とステージ垣根なく歌い奏でたこと。

伝統を守り、今を生きる人に届け、一緒に楽しむこと。これらは矛盾しない。

仏像もそうだ。 古典の様式を守りながら、現代の人の祈りに応える。 古いものに根差し、今に届ける。

手紙の最後には、「さらなるご活躍に期待しています」とあった。

この一筆が、どれほど私たちを励ますか。 書いてくださった方は、きっとご存じない。

便箋を手に取り、ペンを走らせ、切手を貼り、ポストに入れる。 その一連の所作に込められた想いを、大切に受け取りたい。切手には、広隆寺や法隆寺の尊像があしらわれていた。送り主の、深く温かな思いやりをいっぱいに受け止めた。

デジタルの時代だからこそ、肉筆は尊い。 今この時代だからこそ、雅楽を分かち合える尊さを噛み締める。

返事を書こう。 私も、和紙と筆を手に取る。