週末の朝、夫婦で遅い朝食をとっていた。
蒸籠に残った最後の温野菜を譲り合い、ヨーグルトのデザートを半分こしながら、さてこれからの段取りはと、お互い考え始めたときだった。
「そうだ、この間撮った、如来の写真を送ってくれる?」
夫がAirdropしてほしいという。よし合点だ、と自分のデバイスを開き、画像をスクロールした。五十枚ほどの中から、先日納めたばかりの如来像のさまざまなショットを選んで送ろうとする。ところが、夫のデバイスは接続されるが、データが全く受信できない。
「昨日アップデートしたんだよ。この携帯ももうダメかもしれない」
夫の機種は私より六世代は遡る古いものだ。物持ちのよいのは美徳だが、時にこうしたもどかしさが訪れる。それでも粘って夫のデバイスを再起動させると、一度に数枚ずつ、ようやく画像が流れ始めた。
思いがけず時間をとってしまった、と二人で苦笑いしながら、さあ仕事に向かうか、その前にお茶でも、と腰を上げかけたときだった。
普段はつけないテレビから、声が聞こえた。
「珍しい菩薩がこの寺にはある——」
夫が、動きを止めた。
画面に映し出されたのは、八年前に手がけた、珍しい像容の菩薩像だった。東京で依頼を受け、高知に来てから仕上げた仏様。ご住職の手によって可憐に荘厳され、大切にされているそのお姿が、お寺の清々しい気配と共にそこにあった。
夫は、笑っていた。
Airdropが手間取ったのは、そういうことだったのかもしれない。


