現代造佛所私記 No.371「目撃者として」

「手紙を食べる森」
という言葉が、どうやって私の前に来たのか、自分でもよくわからない。

気づいたときに生まれていた。タイトルだけが先に。

そこから書き始めると、物語は勝手に動いた。1,000字くらいにまとめるつもりが、気づけば10,000字を超えていた。数日の間、私はほとんどその森の中にいて、小夏の香りや、楠の香り、古い家のカビの匂いに満たされていた。

登場人物たちが歩く。話す。この人ならこうするだろう、と思う。この人ならこう言うだろう、と思う。その「思う」は、自分が決めているのか、彼らが決めているのか、途中からよくわからなくなった。

書いている私は、どちらかというと追いかけている側で、出来事はすでにそこで起きていて、私はただそれを見ている。

目撃者であり、代弁者であり、見守る者。

毎日のコラムとは、ずいぶん違う場所に立っていた。

森の中にいる間に、この1000日コラムは365日目を過ぎた。一年、その日起こったこと、ふと思い出したこと、気づいたこと、そんなことを書いてきた。

それはそれで、使い続けた「書く筋肉」がある。でもこの数日で動いたのは、あまり使ったことのない場所だった気がする。小説を書く人たちは、こういう場所にいるのだろうか。だとしたら、それは少しうらやましいような、恐ろしいような。

草稿は昨日まで公開した。手元の原稿は、今はまだ寝かせておきたい。雨の森から出てきたばかりで、まだ少し、肌が冷える気がする。