現代造佛所私記 No.370「手紙を食べる森 (7)」

松浦は、女の返事を待たずに「小夏の後始末するから」と、農作業用の小屋にさっさと入って行った。マルがブルブルっと体を降った。

二人と一匹は大樹の車に乗り込み、タキばあの家に向かう。十五時を過ぎても、雨は衰える気配がない。

タキばあの家の屋根を、雨が絶え間なくバラバラ打った。緩んだ雨どいを伝って庭先に水溜りを作っている。

大樹は車の荷室からコンテナを取り出し、水を滴らせながら土間においた。アルミシートを畳の上に敷き、バスタオルを女に渡すと、手拭いで全身を拭いながら引き戸の影でサッと上着を取り替えた。女はソフトシェルを脱いで、バスタオルを肩にかけた。

「お腹に温かいものを入れましょう」
大樹はキャンプコンロを取り出し、土間で沢の水を沸かした。女は、カップラーメンの包装を剥がしながら、ポツリと口を開いた。

「私、ヒナといいます」
「……楠本大樹です」

ヒナは相変わらず、こめかみや額に手を当てていた。気圧の関係で頭が痛むのだという。東京で雑誌のライターをしていること、今日しか休みが取れず、飛行機で飛んできたこと。森へは汽車とバスを乗り継いで、山の下からは歩いてきたこと、ポツリポツリと話してくれた。少しだけ、お遍路さん気分を味わいたかったのだと、決まり悪そうに微笑んだ。

サワサワとケトルを沸かす音が、雨音を遠ざける。縁側の写真立てに気づいたヒナが、手のひらすいっとそちらに向けた。
「お知り合いですか」
「祖母です。先日四十九日が済んだとこで。隣の祖父はもう随分前に—」
「タキですー。大樹の祖母です」
大樹はバッと立ち上がった。写真の中のタキばあが、口元を押さえてニヤニヤしていた。ヒナは目を見開いていた。大樹は、ギクシャクと縁側に立ち写真たてを伏せて戻ってきた。

「……ごめんなさい、私立ち入ったったことを」
「あ、いえ、変な声—というか音、聞こえませんでした?」
ヒナは首を振った。大樹は脇の下に冷や汗を覚えながら、ラーメンに湯を注いだ。ヒナはそれぞれの蓋を留めて割り箸を乗せた。マルが二人の足元でのそっと寝返りを打った。

「お母さんの手術、何事もなく終わるといいですね」
「ありがとうございます」
ヒナは寂し気に笑うと、スマートフォンのタイマーをのぞいた。

「それで、あの紙をふやかしてたのって…」
「あぁ、昔、祖父母がそうやっていたんです。本当は、半分流して、半分は紙に漉き直すらしいんですけど、やり方知らないし、ツテもなくて」
大樹は、居間の片隅にあった小ぶりな円卓を組み立てながら応じる。

「なるほど、和紙をお使いなんですね。そうか、普通の便箋を入れるだけだと、森は食べられないってことですね」
ヒナの仕事時の口調だろうか。森での様子と随分印象が異なる。

「お粥を食べさせるように、願いを届けていたんですね。八百年も前から」
「もう誰もいなくなってしまいましたけど、僕は頼まれて来たんです」
「誰にですか?」
「——父です」
大樹の喉に、かすかな苦味が込み上げたとき、アラームが鳴った。

「じゃ、食べましょうか」
「すみません、ご馳走になってしまって」

居間のアルミシートの上に円卓を乗せ、L字に座す。ラーメンから上る湯気に、二人とも頬が緩んだ。手を合わせ、割り箸をパチンと割るまでの揃った動きが旧知のようで、大樹は思わずうろたえた。とりあえず、緩くなったスポーツドリンクを飲み干した。(続きはまた、夏に)