最近、工房の猫「皓月」を、お母さんと呼んでいる。
もちろん冗談である。 朝食の席で、私の箸の上げ下げをじっと見張り、隙を見ては両手で押さえ込み、がぶりと主張するあたり、なかなかの貫禄だ。
いっぽう夫の膝には、するりと乗ってくつろいでいる。えーなに?その差は、と言いながら頭を撫でると、牙を見せたりもする。
その落差に、私は試みにセリフを与えてみる。
「まあ沙織さん、おかずはこれだけ」 「夫より先に寝るなんてねぇ」 「私のご飯はまだかしら?」
私も元劇団員。身の回りを演劇に見立てると、日常の面白みが増す、こともある。 不思議なもので、皓月にセリフを与えた途端、緊張が大笑いになってしまった。
猫の振る舞いが「芝居」になって、私はどうやら当事者の席から観客席へ移動したらしい。目の前の出来事との間に、薄い幕が一枚下りて、「さて次はどんな場面がくるのかな」と待てるようになる。 演劇をかじった人間の、ささやかな役得かもしれない。
朝はちょっと好戦的な猫のお母さんだけど、抱き上げると不思議だ。さっきまで三角だった目が、何もなかったように穏やかになる。白地にトラ柄の顔を近づけて、ぺろ、ぺろ、と愛おしげに舐めてくれる。 ゴロゴロと小さな振動が心地よい。ふわふわの体毛は太陽の匂いがするし、すっかり和んでしまう。
ずっと、こんなふうに仲良しでいられたらいいのに。夫と二人でいるときはどうして好戦的なのだろう。私は、猫のお母さんは夫を贔屓しているのだと、思い込んでいた。
ある日、「これ見て」と夫が手を差し出した。 夫の掌には、直径五ミリほどの、まだ生々しい傷。皓月にがぶりとやられたという。
どうやら彼女は、きちんと平等らしい。
妹分のウニが旅立ってから、皓月は一匹になった。 以前は廊下や部屋の隅で、連日二匹でレスリングしていたのに、いまは対角線をだーっと一人で全力疾走する。爪の音が板間に響くたび、「今日も元気だねぇ」と声をかけるけれど、彼女の行き場を失ったエネルギーを思って少し切ない。
私が瞑想やヨガを始めると、皓月はすうっとそばに来る。きっと「この人は今、安全だ」の合図なのだろう。スケートのペアのように、いつの間にか二人でポーズを決めている。ふわりとした体温が肌に触れると、静けさの中に、温かいものが脈打つ。
一匹でも、寂しくないように。
新しい役を得た皓月は、今年六歳。 今日も白い背中が、冬の束の間の陽だまりで光っている。


