ふわふわしたところ。 ガリガリと、歩くたびに音を立てるところ。
昨夕から降り始めた雪は、ひとしきり積もって、翌朝にはすっかり晴れた。足跡をくっきり深く印刻する粉雪だったが、朝にはずいぶんと姿を変えていた。
神社の参道入り口に立つ石柱が、十センチほどの雪帽子をかぶっているのが可愛らしい。雪を惜しんで、子どもたちが掬いに来るかもしれない。
朝はまだ地面は一面白かったが、陽の光を受けてきらきらと煌めきながら、あっという間に融けていく。これが、南国の雪の定めなのだと思う。
今日は、久しぶりの龍笛の稽古だった。 オンラインではあるけれど、師匠が目の前にいらっしゃるような感覚で、教えていただいている。
春の調べ、双調の曲を唄う。
事前に音源だけで学習しているが、どうしても平板になりがちなところを、師匠は言葉を尽くし、身振りを交え、体ごと使って、音の景色を立ち上げてくださる。
今日のお稽古は「酒胡子」という楽曲だ。
酒胡子とは、その昔、唐の人たちが酒を勧めるときに用いた人形のことだという。人形を回し、倒れた先の人が盃をあける――そんな酒宴の余興があったらしい。酒盛りの席で奏された曲でもあるそうだ。
それに加えて、先生は雅楽の音と陰陽五行説の関係から、冬の空気と春の兆しとが、行きつ戻りつするような気配を解説してくださった。
その途端、今日という日の雪解けの窓の外の向こうに、この曲が一気に広がり、色鮮やかに立ち上がっていくように感じられた。
音源だけでは、決して見えなかった景色。 季節が直線ではなく、円を描くように巡っていること。 その円環のなかで、私が生きている今の季節と、ちょうど重なるように感じられた。
稽古を終えて、あらためて外を見ると、朝の白さはほとんど残っていなかった。外に出て、昨夜、この山の小さな集落に泊まった友人と歩いていると、今にも弾けそうな梅の蕾が、雪をのせたまま春を待っていた。
酒胡子の音色が、今にも聞こえてきそうな景色だ。
踏みしめた雪の感触と、音の中に立ち上った春の気配。
今日という日に出会ったその二つは、ほんの束の間のものではあったけれど、奇跡のようにぴたりと合わさった瞬間だった。


