クッキーの焼き上がりの香りが、部屋中に漂っている。
「ココアの方は黒っぽいから、焼けたのかどうか、よくわからないねぇ」
娘と顔を見合わせて、くすくすと笑う。そんな土曜日の午後である。
平日も休日も、仕事を手放しにくい自営業だが、この日はあえて娘を誘って、近くの自然の中を歩いた。帰宅してから、二人でクッキーをつくった。
ここ一週間ほど、生活を立て直す――という、ささやかな”試行期間”を設けている。
夜八時にスマートフォンを切る。十時に布団に入り、十時半の就寝まで、紙の本を読む。あるいは、読み聞かせをする。
こうして書き出してみると、ずいぶん規律正しい生活のように見える。実際は、もう少し幅のある毎日なのだけれど、このアウトラインを意識しながら、暮らしてみている。
「立て直す」と言っても、成人してから、こんな生活を送ったことはほとんどない。
三交替、二交替の病棟勤務。地球の裏側にいる上司の個人秘書。出産を経ていまに至る――そんな半生である。
ここへきて、ようやく、ずっと心のどこかで憧れていた暮らしに手を伸ばしているのだと思う。
きっかけは、小学校から届いた「withメディア」という案内だった。
スマートフォンやゲームは、もう生活の一部である。ならば、どう付き合えばよいのか――その問いを、改めて突きつけられた。
ここ数年、同じような通知は定期的に届いていた。そのたびに目標は立てるのだが、仕事が立て込むと、いつのまにか娘は長時間メディアの前にいる。タイマーをかけても、なあなあになることも多かった。
だから、まず私がやめることにした。
すると、娘はあっさりと、メディアから距離を置いた。見たがることも、隠れて触れることもない。拍子抜けするほど、あっけなかった。
私自身も、ほんの数日で、何かが変わっていくのを感じた。
日中の集中力の深さ、目覚めに身体に残る疲労の抜け具合がまず変わった。
もともと夜型の人間である。小学生の娘に合わせた朝のスケジュールでは、睡眠不足が、いつのまにか常態化していた。その無理を、「仕方のないもの」として引き受けてきたのだと思う。
夜、眠気が来るまで、黄色がかったスタンドの灯りのもとで、紙の本をめくる。ぱら、さっ――という音が、暗い天井に吸い込まれていく。
スマートフォンの光とは違う、輪郭のやわらかな光が、手元をぽうっと照らしている。
そうしていると、遠い記憶が、いつも立ち上がってくる。
子どもの頃、夜中に目を覚ましたとき、暗闇の向こうにぼんやりと見えた、若き日の父の姿。布団から出した両手に文庫本を持ち、ベッドサイドランプのもとで読んでいた。
声をかけるでもなく、父も、こちらに気づく様子はない。
ただ、灯りと、本と、父が、夜の闇の中にぽっかりと浮かんでいた。
あの、まどろみのなかの風景。安心と静けさが、同時にそこにあった。
振り返ると、人が本を読む姿というのは、とてもいいものだ。
この生活は、まだ一週間ほどにすぎない。けれど、自分の健康や、昼間の集中力以上に、娘に「本を読む姿」を見せたい、そんな気持ちが、少しずつ強くなっている。
そのために、休みの日は、陽の光を浴び、歩く。テレビやスマートフォンを遠ざけ、娘と一緒に、クッキーをつくるのだ。
どれくらい続くかは、わからない。けれど今は、このリズムを、暮らしの芯に据えてみたい。
もちろん、デバイスは、仕事には欠かせない存在である。
それでも――何より大切な時間を、取り戻さなければならない。


