現代造佛所私記 No.334「観音さまの声」

小さな観音さまのお像の、小さくも手厚い開眼法要であった。

一夜明けたいまも、残り香のような余韻が、心の奥に静かに漂っている。

法要のあと、和尚さまが、大きなエコバッグいっぱいに、使わなくなった仏具を持たせてくださった。香炉、線香立て、玉香炉、燭台、花立、おりん——個人宅としては十分すぎるほどの品々である。

我が家では、仏具に見立てた代用品を用いてきた。だが、思いがけないご縁によって、必要なものが一度にそろった。

蝋燭に火を灯し、線香を立て、香炉には練香を入れてみる。おりんを鳴らすと、澄んだ音が部屋に広がった。なんとも言えぬ、満ち足りた気持ちになる。

良い香りに包まれながら、和尚さまとお唱えした観音和讃を思い出す。なかでも、次の一節が、ひたひたと胸に染み込み、離れなかった。

春の朝(あした)に啼く鳥も
秋の夕(ゆうべ)の虫の音(ね)も
畢竟(ひっきょう)梵音(ぼんのん)海潮音(かいちょうおん)
聞声悟道(もんしょうごどう)の法(のり)のこえ

山での暮らしを始めてから、私は、自然の中に雅楽の音を見出すようになった。都会にいた頃には気づけなかった、ささやかな、しかし私にとっては手応えのある発見だった。

1300年ものあいだ、大きく姿を変えずに伝えられてきた雅楽は、人間社会の流行や速度とは異なる層で響いているように感じられる。これから先、新たな潮流が生まれることはあるだろう。それでも、古典として伝えられてきた雅楽は、同じ型を守りながら、これからも伶人たちの手によって奏で続けられていくに違いない。

かねてより、雅楽と自然の音とは、どこかよく似ていると思っていた。だからこの観音和讃をお唱えしたとき、胸が高鳴ったのである。

自然の声が観音さまだとするならば、その自然と呼応して響く雅楽の音色も、また観音さまなのだ、と。

実際にその妙なる音に身を浸すと、浄土とはかくあらん、と思わせる心地がある。

この和讃の言葉を、龍笛を吹くときにも、胸に抱いていたい。

そして思う。
春、鳥たちが歌い出したら、笛で私も歌おう。
虫の音が聞こえたなら、一緒に合奏してみよう。

それはもしかしたら、観音さまとお話したり、遊んだりする方法かもしれない。

観音和讃は、私の中の童心を、静かに呼び覚ましてくれた。