今日は、台所で小豆をコトコトと煮ながら書いている。鍋の中から、規則正しい音が上がる。
仏像工房での毎日を綴る千日は、三分の一を過ぎようとしている。現在、一つのコラムをだいたい三十分ほどで書いている。
小豆が煮え始めた香りと、温かな湯気。深呼吸する。眉間が緩む。幸せだ。
今日はオンラインミーティングが3つあり、いつも以上に長くパソコンの前に座っていた。
家の中から一歩も出ていないのに、画面の向こうでは、県境や国境を越えて人と対話している。
すごいことだなぁ、と文明の利器に感じ入ると同時に、肝に銘じなければ、とも思う。
実際に会うことと、オンラインで交流を持つことは、同じようでいて違う。見えているのは、ほんの一部分だ。その一面だけで知ったつもりになっていないか?
私がパソコンの前で、どんな香りを嗅ぎながらキーボードを鳴らしているのか。膝の上に猫が乗っている。その柔らかな体温を感じている。
それは、液晶の向こうとは分かち合えない。
同じように、相手のいる場所に、どんな香りがあり、どんな温度があるのか、私にもわからない。同じ時間を共有していても、そんな些細なことさえわからないのだ。
けれど逆に、オンラインで触れられるのがその人の一部分だからこそ、ときに、生々しい手触りの塊が、そのまま渡されることもある。
今日は、PRプロデューサー仲間と打ち合わせをしていた。
互いにデザインも手がける者同士で、制作物全体からは一見してわからないような細部にまで、つい踏み込んでしまう、少し病的なこだわりについて話した。
ほとんど気づかれない部分の、小さな磨き上げ。数秒の動画のために、一日半を費やしたこと。笑って話し合っていたけれど、その小さな差が、全体の印象を左右することもあるよね、と頷き合った。
神は細部に宿る。
悪魔もまた、細部に宿る。
鍋を覗くと、小豆が、ふっくらと柔らかく煮えていた。
火を止め、砂糖を入れる。
そんな瞬間に、「あぁ、あのメッセージ、もう少し優しく書き直そう」と、画面の向こうにいる相手の顔が浮かぶ。
日常の中の、こんな瞬間を捕まえることが、細部に気づくきっかけになるのかもしれない。
一面だけではわからない。
だけど、一面に宿るものがある。
もう一度、ゆっくりと小豆の香りを吸い込んだ。


