夫がお世話になった師匠から、仏像の絵葉書が届いた。
師匠が製作指導された十三仏と、華鬘(けまん)。新しい仏さまに備わる、木の清々しい香りが、葉書越しにも漂ってくるようだった。
お寂しい日々を送られているのではないかと、案じていた折である。葉書を繰りながら、多くの生徒さんが周りにいらっしゃることを知り、救われる思いがした。
喪中はがきで、長年添われた奥さまが旅立たれたと知った。お悔やみの贈り物を選んでいたところだった。
金婚のお祝いに桜を植えた後、五月に奥さまは旅立たれたという。今年、仲睦まじいお二人が植えられた桜は、どんな花を咲かせるだろう。空を仰ぎ見る師匠のお顔を、自然と思い浮かべた。
結婚前、夫と二人で、先生の工房兼ご自宅へご挨拶に伺ったことがある。私が奥さまにお会いできたのは、その一度きりだったが、ご夫婦で、とても温かく迎えてくださったことを、よく覚えている。
高知に来てから数年が経った頃、あるカフェで、夫がキッシュを食べていた。そのとき、ふと、しみじみと語り出した。先生の奥さんが、キッシュを作ってくれたことがあった、と。
奥さまは、ずっと前に去った弟子が、こんなふうに思い出して話しているなど、想像もされなかったのではないかと思う。けれど、若き弟子に差し出してくださったキッシュ、そのひとときが時を経て、私たち夫婦の大切な思い出になっている。
一人、また一人と旅立っていく。その無常が、静かに胸に沁みる。
そんな私の目に、仏像のお姿が飛び込んでくる。どこをみても仏様の姿がある工房の暮らし。寂しさも、悲しさも、切なさも、御前に差し出す花に、そんなふうに諭されているような気がする。
私たちの生活には、どの瞬間にも、さまざまな仏像たちが在わす。その根は、師匠のもとで修行した年月に、しっかりとつながっている。このかけがえのない日々は、師匠と奥さまの時間に支えられている。
合掌低頭


