現代造佛所私記 No.317「消えた集落を歩く」

小学生の娘からの提案で、自宅から人が去った隣の集落を目指し、歩いてみることにした。

途中から携帯の電波は入らなくなり、人の気配も消える。ときおり、山奥で作業しているらしいトラックが通り過ぎるくらいで、あとは沢の音と、たまに鳥の声が聞こえるだけだった。

天気はよく、日差しは力強い。けれど日陰は思いのほか冷えていて、沢をのぞくと、小さなつららが溶けずに残っていた。

山道は意外にも舗装が新しく、路面はなめらか。家族でたまに遊びに来る滝口を越えると、空気が変わる。少し畏れを覚えるほどの、自然の気配に圧倒される。娘が対面の山に向かって「やっほー」と叫ぶと、声はエコーとなって、青空に溶けていった。

滝口の立て看板を境に道は下りになり、どんどん山を下っていくと沢の音が近づいてくる。不意に爽やかな香りがする、と目を挙げると、ヒノキが道の両脇に連なっていた。

この先にも、かつて集落があった。その村のことを知る人はまず言った。「綺麗なところだったよ」と。「立派な家もあったけど、もうないかもしれないね」ともおっしゃった。

道すがら、山が崩れた跡を何か所も見た。ガードレールの向こうの崖には、白く乾いた枝々が絡み合って大きな巣を作っていた。

この山を、人びとが降りることになった理由を、私は想像した。

この辺りにはいくつも集落があった。山寺の和尚様から聞いた話では、かつて祭りの折には互いの村を尾根伝いに行き来し、三日三晩の宴が開かれていたという。そうして親交を深め、仕事も回り、婚姻関係が生まれ、社会ができていた。

だが、人の流れが変わり、寺や神社にお詣りする人も減って、残った人も高齢となった。今では、お堂から仏様をお引っ越しして他の寺に預けたところもあれば、アナグマの巣になっていたお堂から和尚様と有志で、仏様をレスキューした例もあると。

今日向かった集落にもお社がある。合祀の話が棚上げになっていると、昨年、太夫さんから聞いた。もう一つ別の集落には、ご高齢の方がひとり暮らしているだけだという。神楽の伝承館と呼ばれる建物もあるが、どのような神楽が伝えられていたのかも、もう分からないらしい。

人がいなくなったあと、そのまま残されたお社やお堂は、いずれどうなるのだろう。きっと、そんな集落がこれから増えてくる。

 

神社もお堂も、建物や神仏の依代も大切だけど、それ以上に「そこに神仏が在わす」という考えで人が振る舞うことの方が、今を生きる私たちにとって重要かもしれない。

物質として捉えれば、建物がそのまま残されたとしても、いずれ自然に還り、朽ちていくのを待つことも、ある意味では自然で、無理のない在り方とも思える。

けれど、今あらためて思う。

神仏が在わす、という考えで振る舞うのだとしたら——やはり、そのままにしていることは気が咎める。それが素直な気持ちである。

社会構造の変化で人の流れが変わることに対して、私一人がどうにかできることはない。それでも、せめて話の断片だけでも残しておこう。今日、役割を終えた集落の跡を歩いたことを、書き留めておこう。

途中から舗装も無くなった谷底の道から、幾重にも空へ積み重ねられた石垣を見上げながら、私は思った。

忘れてはいけない。忘れたくない。誰かが、ここで生きていたことを。

アイキャッチは、帰り道の途中、疲れて止まってしまった娘と夫。たくさん歩きました。