現代造佛所私記 No.306「元旦に看脚下」

新年の朝、吉田家揃って神棚に手を合わせる。

祝詞を奏上し、日本国の弥栄を、この世界の平和を今日ばかりは臆することなく祈る。

さて、正月飾りを改めて眺めてみると、しめ縄も、おせちも、干支のオブジェも、手作りのものばかりとなった。手仕事の素朴さが、あたたかく心を和ませる。

本来は、稲作と共に、しめ縄づくりの営みも一連の流れとして、五穀豊穣を願い、感謝する具体的な祈りだったのだろうと想像する。それは、一昨年までの実家での米作りの中で、稲藁が無駄なく使い切られていることを目の当たりにし、体験したからだ。

礼拝を済ませると、おせちとお雑煮をいただく。

お雑煮のお餅は、吉田仏師がついたものだ。その餅をつくリズムに合わせて、私は龍笛で「陪臚」を奏でた。まるで楽太鼓のような杵と臼が鳴らす音と、笛の音を聞きながら搗かれた餅。それを元日の朝にいただく。陪臚の合奏が聞こえてくるようで、とても贅沢で心楽しい時間だった。

身支度を整え、初詣へ向かう。

元日の昼下がりの境内は、なんと華やかで晴れ晴れしいのだろう。

一昨年、修理を終え、開眼法要を行った仁王さまを蔵する、まきでら長谷寺さま(高知県香南市)からは、「仁王さまの修理後、元旦に地元の方々のご参拝が、目に見えて増えた」と伺った。

たしかに、来訪を告げる鐘の音が、続けて響いている。数年前までは、訪れる檀家さん以外のお参りも多くはなく、のんびりと過ごされていたそうだが、ご住職、ご寺族様とも、座を温める間もない様子であった。

修理を担当した工房として、本当に嬉しい後日談である。

次にお伺いした吸江寺さま(高知市)では、おせちやお菓子までいただき、仏像についてご質問したいことなどもあって、つい長居をしてしまった。勧められる日本酒も美味しくて、普段呑まないくせに、酒器を何度も干す私を見て、「もうその辺にしておいたら」と、吉田仏師にたしなめられたりもした。

また、昨年、麒麟像をお納めした薫的神社さま(高知市)でも、日が暮れてからなお、参拝に訪れる方々が静かな列をなしていらした。

造像すること、修理することは、こうした信仰と生活を下支えする専門職だと改めて感じる元旦である。

仏像、神像に礼拝する何人もの背中、合わせた手、お参りするための列、このような風景に立ち会えることが、工房の仕事に深い喜びを与えてくれる。

吸江寺で歓待を受た後、「看脚下」の文字が目に飛び込んできた。また新たな気持ちで始めよう、と小さく決意する。

誠実に、淡々と、手を動かし続ける一年でありたい。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

工房での1000日をアーカイブする試み「造佛所私記」は、2025年3月から始まりました。

昔の仏師やその家族、関係者たちが、どんなふうにそれぞれの時代を生き、何を感じていたのか?

そんな想像が膨らみ、「そうだ、未来のそんな人のために、したためてみよう」と思い、赤裸々に描き続けています。 どうぞ、暖かくお見守りいただけましたら幸いです。

吉田沙織(よしだ造佛所共同代表)